日が中天に差し掛かる頃、すでにクリフトの気力は尽きようとしていた。
 魔力も一緒に上がっているはずだが、 その消耗ぶりは一日戦闘していたとしてもそうはならないだろう、といったほどだった。
(そ、そうです、ラグさん…あの方の気は穢れていない神聖な気…もしかすると霊が近づいて来ないかもしれません… せめて少しだけでもラグさんの側で休ませて戴きましょう…)
 体を半ばずるずると引きずりながら、宿の方へと戻る。ラグたちは今、宿の裏庭で馬車を直しているはずだった。
 死せる者の相手をしているうちに遠くまで来てしまったらしい。疲れた体に宿はかなり遠かった。
「あ、クリフト、探したわよ!」
 そこにアリーナがバスケットを持って駆け寄ってきた。
「姫?どうかされましたか?お怪我でも?」
 こんな時でもアリーナを見ると背筋がしゃんと伸びる。すでに条件反射だった。アリーナはバスケットを見せた。
「ずっと姿が見えなかったでしょ?だから一緒にお昼を食べようと思って。」
「そのために、私を探していてくださったのですか?」
 少し目がうるんだ。感激だった。姫が自分と食事をするために探してくれる事など、この旅に出てからは絶えて なかったことである。
「ううん、それだけじゃないわ。」
「?ほかに何か?」
 アリーナは眼をくりん、とさせて言う。」
「なんだか判らないけれど、ミネアさんが『アリーナさんならだいじょうぶだと思いますわ。クリフトさんの 側に今日一日いてあげてくださいませんか?』って。何かあったの?」
 クリフトは心の底からミネアに感謝した。まるで神へ祈るようにミネアに礼の言葉をささげた。
「クリフト?」
 アリーナが不思議そうに覗き込むのを見て、クリフトは我にかえる。
「いえ、何でもありませんよ。ミネアさんのおっしゃる事ですから、きっと運勢的に一緒にいるといいことがあるのかも しれませんね。」
「でもクリフト、さっきすっごく疲れてたみたいだけど大丈夫?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ、姫。」
 そう言われて思い出した。そして周りを見渡す。
(そういえば、あれほど溢れていた霊がまったく見えませんね…)
 それどころか自分の中にまだまだ残っていた「力」が湧き出てくるのを感じた。
(そうですね…姫こそ人に「力」を与える活力の特性の持ち主なのでしょう…)
 自分だけではない、城のみながアリーナを愛し、その笑顔を見るだけで辛い勤務も笑顔で 乗り切れた事実を知っている。いつでも微笑む笑顔。途切れる事のない行動力。それこそ 「活力」を与え、死してしまった人間を近寄りがたくする理由だろう。クリフトは笑った。
「けれどおなかが空きましたね。お昼に致しましょうか。」
「うん、宿のおばさんがおいしいサンドイッチ作ってくれたのよ!」
 そう言ってバスケットを開ける。そこにはサンドイッチとお茶が入っていた。森の近くまで まだ移動して切り株に二人で座った。そしてクリフトはお茶を手に取り二つのカップに注いでアリーナに渡した。

「ふふ、温かいわね」
「そうですね、今日はまた寒いですから。温かい紅茶がうれしいですね。」
 なにげない会話を交わしながら静かな森の側で二人きりで食事を取る。それこそ城を出て以来の事だった。 絶えてなかった幸せの時にクリフトはどっぷりと浸かっていた。
(ああ、なんて幸せなんでしょう…主よ、この采配に感謝いたします…)
「幸せそうね、クリフト。」
 アリーナが笑う。その笑顔こそクリフトを幸せとするもの。その笑顔におされ、クリフトも笑顔で言う。
「このように静かに食事をとるのも久しぶりですし…姫とこうしてゆっくりとした時間を過ごせる事が、 なによりもかけがえのない時だと思えるのですよ。」
 言ってクリフトは顔を赤くする。
(こ、これではまるでこ、告白のようで…どうしたら…)
 アリーナの様子をうかがうが、アリーナはまったく気が付いた様子もなく、幸せそうにうなずいた。
「そうね、幸せ。この緑の森も、綺麗で澄んだ空も、おいしいサンドイッチも、クリフトの側に いられる事も、あたりまえかもしれないけどきっととっても幸せなことよね…」
「そうですね…」
 少ししんみりとした。あたりまえのこと。それが今は叶わない。父と食事をすること。暖かなサントハイム城。 コックの食事。どれだけそれが幸せだっただろうか。
 だが、アリーナはほほえんだ。その日々は帰ってくると信じているから。
 食べ終わったバスケットをアリーナは閉じた。
「じゃあ、バスケット戻してくるわね。」
「あ、姫。私が…」
 クリフトは立ち上がるが、アリーナは首を振った。
「ううん、いいの。ついでに馬車が直ったか見てみたいし。」
 そう言って元気よく立ち上がる。今のしんみりとした空気を振り払うように。そうしてアリーナが宿へ向かい駆け出す。
「こんにちはー」
 向かいからやってきた女性に挨拶をしながら、アリーナは宿へ走っていった。

(たとえ戦いの日々に身を置いていても、きちんと礼儀正しく出来る所がアリーナ様の良い所ですね)
 比較されるのを嫌がるが、王妃もそんな人だったと言う。たとえ新人の一兵士でもちゃんと名前を呼び、笑顔で挨拶をする。 その様な優しさが国民中に好かれていたというのをクリフトは伝え聞いていた。
「オーネット!」
 女性の切り裂くような声がクリフトの耳に入る。声がした方を向くと、さっきの女性がこちらに向かって走ってきた。
(え?)
 そう思う間もなく、その女性はクリフトへ抱きついた。
「帰ってきたのね、オーネット!私、ずっと待っていたの!」
 女性は涙声で、いや既に泣きながらクリフトの首に腕を回した。
「逢いたかった、ずっと逢いたかったの、オーネット!」
「ち、違います。人違いです!」
 クリフトはあせって腕を外そうとするが、女性はさらに力をこめた。
「どうしてそんな事言うの?オーネット!私、貴方の約束を守ってずっとずっと待っていたの!愛してるわ、オーネット…」
「私はクリフトという旅人です。貴方のオーネットさんじゃありません!」
 女性はそう言われて初めて顔をあげた。そしてじっとクリフトの顔を眺める。そっと腕を放した。
「ご、ごめんなさい…、神官さん。よく見ればあまり似てないわ…それにまだ早いですものね… 私すっかり動転してしまって、恥ずかしい…」
「いえ、人間違いだとわかってほっとしました。」
「ねえ、神官さん。神官さんって人の悩みや懺悔を聞いてくれるのよね?この村にはいないから良くわからないけれど。」
「ええ、それが仕事ですよ。」
 クリフトがそう言うと女性は申し訳なさそうな顔をした。
「人間違いをした上にこんな事を言うのもなんですけど…私の頼みを聞いてくださる?」
「ご相談ですか?」
「ええ、もしかしたらただの愚痴になってしまうかもしれませんけれど…」
「ええ、かまいませんよ。」
 クリフトは快諾した。朝から死者の悩みを聞いて疲れていた。どうせ聞くなら生きている者の方が良い。
「けれどもしオーネットが帰ってきて、私が他の男性と話している所を見られては困りますわ。よければ森の方へ入りません?」
(そうですね…姫やマーニャさんたちに見られたら色々大変かもしれません)
「ええ、そうしましょう。」


「今から3年ほど前のことになるの。」
 唐突に話し出したのは森のなかにしばし入ったところでだった。歩きながら女性はクリフトに話し掛けた。
「ここは寒いでしょう?山奥だし何もない。あるのは田畑だけ。でも私はそんな村で生まれて、育ったの。すこし 退屈だけど、平和な村。オーネットはね、ここにやってきた旅人だった…あなたと同じね。私と彼は恋に落ちたの。」
 夢見るような幸せな笑顔。もう20も過ぎようとと言うくらいの女性だが、今語るその顔はきっと恋を した17歳くらいの少女なのだろう。
「私は彼が好きで、彼も、私のことが好きになってくれた。父さんと母さんは反対したわ。外の人間なんて ろくなもんじゃない、って。所詮旅人なんてまっとうじゃないって。貴方はただ、外からの刺激に ちょっと舞い上がってるだけなんだって。でも、そんなこと関係なかった。たとえオーネットがこの村の人でも 私はきっと、彼のことが好きだった。オーネットがいると、当たり前の空が綺麗に見えた。世界が違って見えた。」
「とても、尊い想いですね…」
 クリフトが言う。すると女性はとても嬉しそうな顔をした。
「ええ!オーネットはね、そんな父さんと母さんを説得してくれた。好きなんです、結婚したいんですって。 父さんと母さんはしぶしぶだけど折れてくれたの!」
「とても、自慢の恋人なんですね。」
「オーネットは、こう言ってくれた。これから自分の家に行って父と母にこの事を話して来る。そして お土産を沢山買って帰ってくるよって。」
「貴方と結婚をする為にですね…?」
 女性は寂しげな眼をしていた。そして唐突に足をとめた。そこはとても小さな広場だった。
「ここはね、今は寂しいけれど、夏になれば真っ白な花の絨毯が出来るのよ。2年前の夏。ここで、オーネットは 約束してくれた。また、この花が咲く頃に、僕は帰ってくるから。それまで待っててくれって。」
「とても、美しい約束ですね。とても素敵な方だったのですね。」
 寒空の下、いじらしくも生きようとしている、おそらくその白い花のものだろう植物に眼を クリフトは落とした。そこに女性は声をかけた。

「ねえ、神官さん。」
「クリフトでよろしいですよ。なんですか?」
「都会って良い所?」
「はい?」
 唐突の会話変更にクリフトは付いていけなかった。
「こんな山の奥じゃないもっと大きな町。そこには色んなモノがあるって。お城やたくさんの建物。色んな 綺麗な服が売ってて、刺激的なカジノもあるって。本当?」
「そうですね。色々な町がありますけれど。」
「綺麗な貴婦人も、きっと沢山いるんでしょうね…私はこんな田舎娘で、流行のドレスなんて着たこともないわ…」
「違いますよ、女性の美しさはそんな事では決まりません。」
 たとえ旅を続け、古びた格好をしていても、光り輝く美しい女性を、クリフトは知っている。女性は 空を仰ぎ見て言う。
「今日、宿屋に旅人が来ていたわ。クリフトさんのお仲間かしら? …きっと都会から来た、とっても綺麗な女性。大輪の薔薇みたいな人と月を見て 垂れ下がる百合のような人。…とっても綺麗だった。あんな人が都会には沢山いるのね…」
 あの人たちは特別なのだ、そう言おうとしたとき、女性は付け足した。
「さっきクリフトさんと一緒にいた女の子も、とっても綺麗で可愛かったし。まるで 黄金のように輝いてたわ。」
 その言葉に、クリフトは少し得意になった。自分が使える主君を褒めてもらえることほどうれしい事はそうなかった。 いつもは「おてんば姫」と呼ばれているだけに、なおさらだった。
「あの方々は特別ですよ。都会は人が多いだけに、様々な方がいらっしゃいますから。」
「そう…けれど、あれから3度、白い花は散ったわ…けれど、あの人は帰ってこない…」
「今は世界中が混乱しているのですよ。旅をするのは難しくなっているんです。けれどきっと帰っていらっしゃいますよ。」
「嘘よ!」
 慰めの言葉を切り裂く声が女性からあがる。
「もう2年も帰ってこない!手紙も来ないわ!父さんと母さんは嬉しそうに言うの!お前は騙されてたんだ、 都会の男の火遊びだったんだって!」
「そんなこと、ありませんよ。オーネットさんは真剣だったのでしょう?」
「じゃあ、どうして帰ってこないの?!きっときっとオーネットは私のこと、忘れてる!楽しい事 いっぱいの都会の町で、綺麗な貴婦人と楽しく過ごしているのよ!」
「オーネットさんを信じてあげて下さい。ずっと待っていた愛しい方なのでしょう?」
 そっとクリフトは言う。だが、女性は笑う。
「そう、私、馬鹿だったのよ。愛してるなんて言われて、舞い上がって!そして良い様に騙された。 こんな田舎娘、騙しやすかったでしょうね。私は3年を無駄にした。オーネットを信じた ばっかりに。愛したばっかりに!愛してるなんて言葉は、嘘ばっかりよ!男は皆そうやって 裏切るんだわ!」
 そう言って、女性は涙を流した。
「そんな事はありませんよ!」
 今度はクリフトが少し声をあげた。
 ずっと抱いている思いがある。たった一人に捧げた心がある。
「たしかに余り感心できない方がいるのも確かです。ですが、男性が全てそうではありませんし、オーネットさんだって どうだかわからないじゃありませんか。決して叶わない思いをずっと持ち続けている想いを、私は知っていますから!」
 女性はクリフトをまじまじと眺めた。
「だから、その様な事を言ってはいけません。きっと神は見守っていてくださいます。清く正しく生きている方に、そのような 運命をお与えになるはずがありませんから。」
「本当に?私は、幸せになれる?」
「ええ、本当ですよ。」
 クリフトは笑顔で断言した。女性は夕暮れの日を背中に浴びながら、クリフトに近づいてきた。
「じゃあ、お願いがあるの。」
 そういってクリフトに手に触れた。
「なんですか?」
「私と一緒に来てちょうだい。」
 あるはずの女性の影は、クリフトに当たらなかった。


   
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