廊下を歩く。
 いつまでも逃げていても仕方がないから、飲み物を買いに行く事にした。
「かっこよかったな…」
 応援席ではなかったけれど、はしっこからこっそり眺めていた。
 面越しから伝わる、まっすぐな眼差し。軽やかな足裁き。
(頑張って欲しい、けど…)
 このまま行くと、あの人と戦う事になる。それが、怖かった。
 勝って欲しいのか、負けて欲しいのか。
 自分は、どっちを応援したいのか。…どうしたら、いいのか。
 ぼんやりと、歩いていた。その時だった。

 ダン!!!
 何の音か判らなかった。
 息が出来なかった。
 目の前に、爛々と光る目。
 すさまじい力で、首を片手で押さえつけられていた。
 どうやら先ほどのすさまじい音は、自分が壁に押し付けられた音らしい。
 首を掴む手に、力がこもる。背中もじんじんと痛む。
 だがシンシアは、抵抗する事を許されていなかった。
 約束を破ったのは、意図的なものではなく、ただの偶然だった。
 それでも告げられていたのだ。それを破った時は。
「殺すと、言ったはずだ。」
 男が、低く告げる。どうやら片手に体重をのせているようで、シンシアの目の前は徐々に暗くなる。
「私の前に、二度と姿を現わすなと…」
 死んで当然の人間かも、知れないけれど。
 それでもシンシアは、まだ、死にたくなかった。
「しら…なか…たの…」
 手はだらりと落ちていたが、せいいっぱいの力でその言葉だけ、搾り出した。
 コツコツコツコツ…
 誰かが近づく足音。
 人々が会場に集まっているとはいえ、人通りがまったくないわけではない。
 男は盛大に舌打ちをして、シンシアを解放する。
 息の仕方がわからない。それでも空気を求めて、魚のように口を開け閉めするシンシア。
「次は、殺す。」
 それだけ言い残すと、男は去っていった。
 座り込み、せきこんだ。そうしてようやく、思い切り息をする。
 男は、本気だった。そのことはシンシアにもよく判っていた。そうして、 自分がその怒りに値する人間だと言う事も、皮肉なほど良くわかっていた。
(だって、私は)
 ピサロの大切な人を、殺してしまったのだから…


 場内はしんと静まり返っていた。
 元々剣道は試合中に歓声等は禁止されているのだが、静まり返っている理由はそれだけではなかった。
 皆、注目しているのだ。二人の試合に。
「はじめ!!」
 ダン!最初に踏み込んだのは、ピサロだった。だが、驚くほど冷静にラグはその動きを見ることが出来た。
 心の問題をクリアできたなら、あとは技術の問題となる。
 剣をあわせ、交わし、隙を狙う。ゆっくりと相手に近づき、そうして離れる。激しい剣 の争いになった。
(どこか、覚えのある剣筋なんだけど…)
 どこにどう打ち込んでくるかが、なんとなく判る。やりやすいと同時にとてもやりにくい剣筋。
 剣をあわせようと竹刀を向ける。想像以上に速さに驚きながら、懸命に向かう。
(ああ、そうか、なんとなく、僕の打ちかたに似てるんだ。)
 なんだか、おもしろくなった。虚を狙うつもりで思いっきり打ち込み、跳ね返され、跳ね返す。
 そうする内に、ラグは目の前にいる、顔も知らない相手を、判ってしまったような気がした。
(ああ、この人は、なんて――――――)
 確固たる、自分を持っている人なんだろう…


「礼!」
 ざわざわと、会場がざわめいている。
 一生懸命やった。とても気分がすがすがしい。
「残念だったな。だが、素晴らしい闘いだった。」
 先生の言葉に、ラグは頷く。
「悔いはありません。僕、一位になるより、もっと素晴らしい闘いをする事が出来ました。」
 チームメイトがラグの頭を撫でた。
「でもすげーぜ、ラグ。お前だけだぞ、あのピサロから一本取れたのは!」
 三本、ぎりぎりだった。ピサロが一本を取り、ラグが一本取り返し…最後はピサロが一本を 決めて、決勝は終わった。
「いい、戦いだったぞ、ラグ。」
 部長が、そう言って笑う。ラグは頭を下げた。
「はい、タオル。」
 面を外したラグの頭からは汗がしたたり落ちていた。
「ありがとう、シンシア。」
 受け取ったタオルは、少し冷たかった。とても心地よい。
「お疲れ様。相手…強かったね。」
「うん。でも、楽しかった。もう戦えないのが残念だと、思うよ。」
三年の助っ人だと言うのなら、練習試合を申し込んでも、真佳井野高校にはいないことになる。それが少し残念だった。
 シンシアは、少し困った笑顔をしてつぶやく。
「うん…でも、きっとその方がいいんじゃないかしら…」

 表彰式が終わり、ラグたち剣道部の夏は、一応の終わりを見た。 それは、きっととても輝く、夏の1ページだった。

 そして、運命は、やがて再会を約束する。うだる太陽が消えうせた、ある日に…




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