その日、珍しく病棟がざわめいていた。何人かの看護婦がロザリーの部屋からゆっくりと出てきた。
「どうかしたのかしら…」
 少しあせったように、看護婦がこちらに来る。通り過ぎる直前、看護婦はシンシアに気がついたようだった。
「あら…あなた…ロザリーさんに良く似ているのね…姉妹かしら?」
「いえ、従姉妹です…ロザリーに、何かあったんですか?」
「良かった。お願い、ロザリーさんを止めてあげてください…体にも良くないわ。今は私たちも 近寄らせてくれないのよ。安静にさせてあげて。私は先生を呼んでくるから、お願いね。」
 それだけを言うと、看護婦は本棟のほうへ歩いていった。
「ロザリーさんが…?」
 ラグは訝しげにつぶやく。シンシアは、その間にも病室へと足を進めた。
 扉の前に立つ。向こう側からきこえる、激しい呼吸音と、うめき声、そして泣き声。
 ためらうシンシアに気がつかず、ラグは扉を開けた。
「入って・・・来ないで!!出て行って!!!」
 そう怒鳴ったのは、たしかにロザリーの声だった。

「ロザリー…」
 ロザリーは変わらずベッドにいた。そこで座り、シーツを掴み…そして泣きながら怒鳴っていた。
「シンシアちゃん…出て行って!ここに来ないでよ!どうせ、治らないんだから!!このまま死ぬんだから!!!」
「ロザリー?どうしたの?」
「心配そうな、顔をしないで!!!」
 苦しみながら、うめきながら声を出している。濃厚に匂う死が、ラグを沈黙させた。
「もう楽になりたい!生きてなんか、いたくない!!苦しいだけだもの!!」
「落ち着いて、体に悪いわ、ロザリー」
「ほっておいて…もういや、嫌なの!!!こんな寂しいところで、たった一人で苦しんで…誰もこんな気持ちわかってくれない!! シンシアちゃんだって、本当は、私が死ねばよかったって、思ってるくせに!!!」
 泣きながら、目の前にあるものをすべて投げる。ラグが買ってきた本が落ち、シンシアが買ってきた置物が目の前で割れる。
「私が助かるって事は、誰かが死ぬって事でしょう?!ううん、誰かが死んだって私も死ぬかも知れない! どうせ、死ぬなら、今死ぬわ!!」
「そんな、ことない、きっときっと大丈夫だから。だからそのためにもロザリー、体調を整えなきゃ…」
 苦しそうに、時々息を切らし、胸を抑えている。相変らず痩せた体は、余りにも哀れだった。
「嘘つき!治るなら、どうして私は6年もここに居なきゃいけないの!? どうして、どうして私だけ、いつもここに閉じ込められて、一歩も出られなくて、…ねえ、わたしが何をしたの? どうして、私だけなの?皆幸せそうで、シンシアちゃんは助かって、どうして私だけなの!!教えてよ!!!」
 シンシアの唇が、紫色になる。顔も青くなる。小刻みに震え出した。
「どうせ、死ぬのよ!だったら、だったら今死んだほうがいいわ!皆、そう思ってる!!だれも、悲しまない。 私が生きてたって、どうせ何の役にも立たないもの!!」
「そんな、こと、ありません。」
 搾り出すような、ラグの声だった。だが、ロザリーは意に介さない。
「死んだほうがいいなんて、そんなことありません。」
「…あなたに、健康な貴方に、私の気持ちが、判るの?!!」
「わかりません。」
「なら、判ったようなこと、言わないで!!!」
 そう叫んだロザリーに、ラグは静かに言った。
「でも、遺される人間の気持ちはわかります。」
 本当に、静かな声だった。

「例え、何もできなくても、生きていてくれればそれだけで嬉しいんです。側にいて、笑っていてくれるだけで、 僕は嬉しかったんです。苦しそうにしているのを、何もできなくて、僕、本当に情けなかったけど、 側にいて、笑ってくれたら、それだけでいいって言ってくれたから、僕、ずっと側にいました。看取る ことしかできなかったけど…その間、何も僕にしてくれたわけじゃないけど…それでも僕、嬉しかったんです。」
 その言葉は、ある一人の差していることは、ロザリーにもシンシアにも伝わった。
「…誰が、亡くなったの…?」
「祖父です。…僕の、たった一人の肉親でした。…風邪が悪化した肺炎で…皆は老衰だって、寿命だって言ってくれましたけど。 僕も、そう思いますけど…でも、哀しかったです。さびしかったです。」
 ロザリーは、胸を押さえながら、黙り込んだ。
「僕は…健康だから、ロザリーさんの気持ちはわかりません。どれだけ苦しいか。苦しい時にこんなところで一人ぼっちでいることの 寂しさは、僕は想像することしかできません。けど…ロザリーさんにはわかりますか? 大好きな人が、必ず自分より先に死ぬ事が分かっている事…そして、それは少しずつ迫ってきて…一日一秒が本当に 大切で、貴重で…こんなにも当たり前なのに、わかるんです。やがて当たり前じゃなくなる時が来る事が、わかるんです。」
 ラグは泣いてなかった。だが、心が泣いているように見えた。
「おじいさんと手を繋いでも、哀しくなるんです。やがて、やがてこの暖かい手が、冷たくなる時が来る事が、判るんです。 …手が暖かいのが嬉しいのに、哀しくて…」
 ラグはロザリーを見据えた。
「これは、健康な人のわがままです。側にいる人の、エゴです。でも、僕は生きていて欲しいと思います。ロザリーさんは僕と おんなじくらいの年で、僕と同じくらい生きられる可能性があるから、僕は生きて欲しいです。生きることを、諦めないで 欲しいです。…お願いです。」
 もう、何も言えなかった。シンシアも、ロザリーも、ただ泣いていた。涙を流していた。


 それから、医者と看護婦が来て、ロザリーに点滴をつけ、なにやら色々処置をしていたようだった。そのまま帰ろうとした 二人だったが、ロザリーの希望で、病室へ呼ばれた。
「ごめんなさい…」
「気にしなくて、いいですよ…ずっとロザリーさん偉いと思ってました。大変な病気なのに、弱音吐かないで… 少し心が弱ってしまっても、それは当たり前なんです。」
 優しく言うラグに、ロザリーは首を振った。
「違うの…違うんです。…私、偉くなんかない…」
「ロザリー…そんな…こと、ないよ…」
 ロザリーは寂しく微笑む。
「私ね、ずっと天使になろうって思ってたの。…人に迷惑に思われないように、いつもいい事言って、笑ってれば… 死んだときに、天使になれるって…私、どうせ死ぬから、みんなの中で、私は天使になれるって、ずっと思ってた…だから、辛くても、 笑ってられたの…でも、駄目だったね。」
「私は…天使より、ロザリーのほうが嬉しいわ。」
「シンシアちゃん…ありがとう…ごめんね。シンシアちゃんのこと、好きなのに、本当はずっと、ずっと 私…恨んでいたかも、知れない…」
「…当たり前…だよね、ロザリー。…それでも、信じてもらえないかもしれないけど、わたし、ロザリーのことが好きよ。」
「私も、シンシアちゃんみたいに、ずっとなりたかった…」
 シンシアが、そっとロザリーに近づく。そして、そっとロザリーを抱きしめた。ロザリーは点滴がついていない方の 腕をそっと伸ばす。
 そして、ゆっくりと二人は体を放した。お互いのほのかな温かみを、胸に残して。
「ラグさん…ごめんなさい、ありがとう。…それから、おじい様の事…私、好きだったわ。」
「逢った事、あるんですか?」
 ラグの言葉に、シンシアが頷いた。
「たった一度だけ。私たちが来ていた夏に、ラグが風邪で来られなくなったって、おじいさんが教えてくれたの。 三人でスイカご馳走になったわ…とっても楽しかった。」
「そんな、事があったのか…」
 あの夏の事を、なくなってしまった祖父が元気だった、幸せだったことを思い出して、ラグの涙腺が緩んだ。 ロザリーが労わるように囁いた。
「私も…自分の祖父のこと…あんまり好きじゃなかったから、とっても嬉しくて。…凄くいい人だった。」
「うん、凄く凄くいい人だった。おじいさんに…何も言えなくてごめんなさい。」
 二人のその言葉は、何よりもラグの心に響いた。今も、おじいさんの事を覚えてくれている人がいる。死を 悼んでくれる人がいる。それが、嬉しかった。
「いいえ、十分です。喜んでいると、思います。ありがとう。お大事に、ロザリーさん。」
「また、来てもいい…?ロザリー…?」
「当たり前だわ…ちゃんと待ってるから。…またね、シンシア。」
 それだけを言うと、ロザリーはベッドでぐったりとした。…疲れていたのだ。それでも、心の中がむしろ 鮮やかだった。そのことを思い返して…ゆっくりと眠りについた。



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