朝が来た気にならなかった。心はずっと深い深い夜の中。月もなく星も光らない。
(お母様がいれば…相談にのってくれたかな…)
 考えてみれば余りそんなことを考えた事はなかった。その役目は、全てクリフトに割り振っていたのだ。そう考えて、 自分の傲慢さに更に落ち込んだ。
 だが、今、母はいない。いつも相談に乗ってくれていたクリフトにも相談できない。父は論外だ。
 そう考えると、真に相談に乗ってくれそうな相手は、もう、ここしか思いつかなかった。


「私…クリフトが好きみたいなの。」
 お昼休み、唐突にそう切り出された四人。
「ええ!!」
 そう驚いたあと、反応は二つに分かれた。
「そうだったんですか?!」
 というラグとシンシア。そして。
「気がついてなかったの?!」
「気がついてなかったんですか?」
 というエドガン姉妹に。
「え。あ、あの…マーニャさん、ミネアさん…」
「まぁ、あたしも気がついたのは、つい最近だけど…好きでもなきゃあんだけ側にいたら、うっとうしいだけだと 思ったんだけど?」
 マーニャが少し照れながら言えば、
「お二人とも、いつも私たちにはわからない、共通した雰囲気を持ってらして…ずっとそうなんじゃないか、って思って いたんですけれど…」
 部活の関係上、色恋沙汰に詳しいミネアが言った。
 アリーナの顔が赤くなる。そうしてさっぱり気がついていなかったラグと、まだ付き合いが浅かったシンシアが苦く笑う。
「それで、クリフトに振られたの?だいたい今まで気がついていなかったなら、どうして突然気がついたのよ?」
 マーニャの言葉にアリーナが頷き、とつとつと話し出した。
 父からの見合い話。たまたま成り行き上、クリフトと付き合っていると言ってしまったこと。そうして芝居をしてくれるように 頼んで、断られてしまったこと。…そのあと、初めてクリフトのことが好きだと、気がついたこと…
「私…どうしたらいいかわからない…」
 四人がしばし沈黙する。
「クリフトがねえ…あたしはてっきりクリフトのほうがアリーナの事を好きなんだと思ってたけど、何かの間違いじゃない?」
 マーニャの言葉に唖然となりながらも、アリーナは首を振る。
「そんなことないわ。私、振られちゃって…ずっとクリフトに酷い事してきたの…」
 アリーナはとことん落ち込んでいる。そのアリーナに光明をもたらしたのは、一番色恋沙汰にうとそうなラグだった。
「でも…振られたってアリーナさんおっしゃってますけど、気持ちをちゃんと伝えたわけじゃないんですよね。」
「え、でも…」
「芝居をしてくれっていって断られたのと、想いを伝えるのはまた別だと思います。たとえば…たとえばですけど、僕に 好きな人がいて、その…付き合っている振りをしてくれって言われたら、僕、ショックだと思います。」
 少しだけ頬を赤くして、ラグが言う。少しだけ視線が横に向いた事を、幸い誰も気がつかなかった。
「だって、それは逆に、『本当に付き合おう』なんて相手に考えられてないんだ、って僕、考えるかもしれないって、 思います。クリフトさんも、そう考えたかもしれませんし。だから、振られたかどうか、まだ判らないんじゃ ないですか?」
「そう…かな…」
「大丈夫です、アリーナさん。希望はまだあると、私も思います。…言ってみなければ…聞いてみなければ判らない 想いってありますから。」
 シンシアが力強く言った。その言葉に込められた思いを、ラグだけは知っていた。
「迷惑じゃ、ないかしら…」
「女の好意を迷惑だ何て思う奴は、男失格でしょ。」
「大丈夫ですよ。きっと。それに、ちゃんと想いを伝えておかないときっと後悔しますよ。今が中途半端だから、 アリーナさんもそんなに悩んでいらっしゃるんじゃないですか?」
 マーニャとミネアが、アリーナにそう声をかけた。
 アリーナはしばらく考えた。
「…うん、考えてみる。ありがとう。」
 そう言って、ひさびさに少しすっきりした笑顔を、アリーナは見せた。
「また、皆でお弁当が食べられるといいですね。」
 ラグの言葉に、皆が頷いた。


 受験もなく、試験も終ったクリフトは、今、必死で経営学の勉強をしていた。現在の経済、経営のノウハウ、 いくら勉強してもしすぎると言う事はないだろうとクリフトは確信していた。
 クリフトが娯楽を楽しまないのかと言うと、そうでもない。読書や映画鑑賞や音楽鑑賞はたしなんでいる。だが、 ここ最近はひたすら勉強にいそしんでいた。今の心理状況では、勉強しているのが、一番楽なのだ。
 『なにかをしなくてはならない』その義務感が、今のクリフトにはありがたかった。正直、何かを考えるのが 嫌だったのだ。
 それは逃避と呼ばれるものかもしれない。自己防衛と呼ばれるものかもしれない。それでも、今のクリフトには そうやって自分を守る強さしか持ち合わせていなかった。
 ここは暗闇。守ってくれるものは何もない。ただ力をつければ『旦那様』はきっと認めてくれる。そうしたら… ここにいることができる。ここ何日か、無意識のうちにクリフトは、そう思っていた。
 こんな不安定な気持ちは、初めてだった。なぜだか判らないけれど、よりどころがない不安を、クリフトは勉強に ぶつけていたのだ。

 気がつくと、夜中の二時を回っていた。このあたりで切り上げないと、明日は起きられなくなるだろう。
(…最近はアリーナ様の身支度やスケジュール管理がなく、少し時間があるんですけれど、ね)
 最近のアリーナは、自分より早く起き、朝食を食べるとすぐ学校へ行ってしまうのだ。
 それは楽だといえば楽だが、…どこか、寂しかった。
 ”もう、絶交よ!!!”
 その言葉以来、交流すらもてない。それがアリーナの意思だと言うならと、今まで従ってきたが、まさかここまで長い間だとは 思わなかった。
(そろそろなんとか…した方がいいのでしょうけれど…)
 考えてみれば自分から『仲直り』など持ちかけたことがない。それに今回無条件に『アリーナの言うとおりにする』ことが できない。
(どうしたら…いいのでしょうか…)
 悩みながらも本を片付けるクリフト。そろそろ寝ようかとした頃…ドアから音がした。
 ”コンコン”
 それは、とても控えめな音だった。
 ”…コンコン”
 もう深夜2時。はたして誰だろうか…そう思いながらクリフトはドアを開ける。
「ご、ごめん、ね。」
 そこには、寝巻きに身をまとったアリーナが立っていた。


「クリフト…寝て、た?」
 それはとてもひそやかな声だった。
「いえ、大丈夫ですよ、アリーナ様。…お入りください。お寒いでしょう?」
「ありがとう…」
 アリーナが中に滑り込む。その後ソファーへ進めたが、座ろうとしない。アリーナが座らないなら、 自分も座るわけには行かないと立っていたが、アリーナはただ、無言でその場に立ち尽くしていた。
(どうされたのでしょう…)
 ずっとうつむいているのだが、時々自分を見上げて、またうつむく。顔は少し赤く、どこか悩んでいる ようにも見えた。
(…ああ、もしかしたら仲直りしてくださりに来たのかもしれません。でもなんといっていいか 判らないとか…)
 そう考えると、こんな遅くに来た理由もわかるような気がした。じっとしていられなかったのだろう。 とても嬉しかった。自分と仲直りしたいと思ってくれることが。そしてそのために深夜に尋ねて来てくれた事が、 とてもクリフトには嬉しかった。顔がほころんだ。
(では、やはり私が何か言ってあげるべきですね。もう、怒っていないとか…)
 そう、言う言葉を決めた時だった。アリーナが口を開いた。
「…あのね、クリフト…絶交なんて言って…怒ってる…?」
「いいえ、そんな。こちらこそ、アリーナ様の気持ちも考えず、心無い言葉を言ってしまったことを、ずっと 後悔していたのですよ。」
 無性に嬉しかった。クリフトは自然に笑顔になる。だが、その後、またアリーナは悩んでいるようだった。クリフトは 不思議に思う。
 ごめんなさい、が言えない人ではないのだ、この人は。
 もちろん自分に非がない時は絶対に謝らない。だが、非がないと思っているなら深夜に自分の部屋に尋ねて来る道理がない。 あとはアリーナの『ごめんなさい』さえあれば、明日からまたあの日常に戻れるはずなのに、アリーナはまだ迷っている。
 だが、もう自分から何を言えば良いかわからず、クリフトも立ちつくす。
 そして、しばしの時が過ぎ…何かを決意したように、勢いよくアリーナがクリフトの顔を見つめた。
 アリーナの瞳には少しの涙。頬は薔薇色。クリフトの脳髄に甘い匂いが漂った。
「あの、あのね、クリフト。…私、クリフトのこと、好きなの…」

 その声は、クリフトの体中を巡り、血を沸騰させ、全てを揺さぶった。
 ぐらぐらという、自分の不安定な体。それでも目は、アリーナから離せない。
 その潤んだ瞳も、紅潮した顔も、これでどうしてあの力が出せるのかと疑いたくなるほど細い 腕も、パジャマに包まれた少し震えた細い体も、魅惑的で可愛らしかった。…それはまるで、 …クリフトをエデンから追放する悪魔のように、徐々にクリフトを狂わせる。
 すぐ側で聞こえる、甘い吐息の音。燃える、体。
「クリフト…」
 その甘い声に誘われてしまいそうになる。だが、潤んだ目の下。少し赤くなった涙の跡が、クリフトを覚醒させた。
 もし、その声に誘われれば、自分は守りたいこの人を、必ず泣かせてしまう事になる。クリフトはそう確信した。


「…また、そのお話ですか?アリーナ様。」
「え…」
「旦那様はご存知ですよ。そしてアリーナ様がどうしてそのような嘘をおっしゃったかも、ご存知でした。」
「クリフト…私…」
 クリフトは、アリーナの言葉を遮った。生まれて初めてのことだった。
「してみないうちから否定するなんて、相手の方にも失礼ですよ?どうしても嫌でもせめて一度だけでも逢ってみられたら 如何ですか?それでもどうしても嫌だというのなら、私からもお断りできるように、旦那様に一緒にお願いいたしますから。」
 優しく、アリーナに言った。それは綿のように優しく、綿のように…意味のない言葉だった。
 アリーナはうつむいていた。じっとその言葉を聞き、何かに耐えているようだった。
「旦那様はアリーナ様のことを、一番に考えていらっしゃります。アリーナ様の悪いようになさるわけがありませんよ。」
 そこまで聞いて、アリーナは顔を上げた。それは、普通の顔だった。
「クリフトは…お父様のこと、信じてるんだもんね。お父様のことが一番好きで、なによりも大切なのよね。」
 あまりの様子の違いに、クリフトはあっけに取られながらも言う。
「え、ええ、旦那様がいなければ私は今、生きていないでしょう。アリーナ様は、違うのですか?」
「ううん、お父様のこと、好きよ。…一番じゃ、ないけど…。」
 普通の顔、普通の話し方。それでも、どこかトーンが違う。
「ごめんなさい。こんな遅くにわがまま言って。…うん、私、お見合いするね。…クリフトに聞いてもらえてよかった。 ありがとう。おやすみなさい。」
 そう言って微笑む。そして、くるりと後ろを向いて、部屋を出て行った。


 …どうして自分が書くと、不幸のどん底になるんだ、恋愛ドラマは。そんなわけで、予定では、次回がアリーナ編 最終回です。
 ロザリーの話はこの話を書こうとしてたときに「絶対に書こう」と決めていた描写です。もっとも入院した事が ほとんどない私ではまだまだですね。
 徐々に終わりに近づいてきて、寂しいような、最後まで書けるのが楽しみなような、複雑な気分です。




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