それは、とてつもなく、冷たい言い方だった。マーニャはぐっと詰った。確かにそう言った。 その恩義は忘れていない。だが…どうしても納得がいかない。
 クリフトのその言葉に、全員も黙り込んだ。いつも温和で優しく笑っているクリフトらしくなかった。 そして、それだけ本気だと言う事なのだ。
 だが、アリーナの気持ちを考えると、このままほっておくのも嫌だった。あれほど、哀しそうにしていたのだから。
 口を開いたのは、意外にもシンシアだった。
「…マーニャ先輩。恩を売ってしまうようでなんですし、私は…たいしたこと、してないんですけど。その言葉、 私にも有効ですか?」
「は?…あぁ、別に…助かったと思ってるわよ。あたしに…できる事があるなら…」
 その言葉は今となっては悔しかった。こんなことで使われるなんて、とクリフトをにらんだ。だが、自分自身の言葉を 破る気にはなれなかった。
「じゃあ、マーニャさん、助けて下さい。…クリフト先輩を一緒に説得してくれませんか?」
 その言葉は、したたかでそして楽しい提案だった。
「シンシアさん!」
 クリフトの抗議の声に解さず、期を逃さずラグが続く。
「僕の分も付けて下さい、マーニャさん。」
「判ったわ。…ついでに、アリーナの分もあったわね。…クリフト、どうしても考えを変えてもらうわよ。」
「ラグさんまで…皆さん、落ち着いてください。これが一番いいことなんです。アリーナ様にとって。 今はちょっと血が上っていらっしゃるだけで、いつかきっとこうしてよかったと思える日が来ます。」
 その言葉に、シンシアが首を振る。
「違います。クリフト先輩はそう思い込みたいだけなんじゃないですか?アリーナさんはクリフトさんに 好きだとおっしゃったんでしょう?クリフトさんが考えるべきなのは、アリーナさんの真意では ないですわ。アリーナさんに対して、どう思うかを考えるべきなんです。アリーナさんが本気かどうかなんて、 そんなことクリフトさんには関係ないですわ。」
「そうだね。…うん、僕もそう思う。クリフトさん、相手の問題に対して、『はい』でも『いいえ』でもなく、 問題の意義を疑うなんてしたら、きっとテストでは点数が取れないと思いますよ。… クリフトさんは、どうしたかったんですか?アリーナさんのこと、お嫌いなんですか?」
 ラグの例えは、クリフトには判りやすかった。好きか、嫌いか、そう聞かれると、答えは一つしかない。

「…大切な人です。私にとっては。だからこそ、私なんかではなく、旦那様が決めた素晴らしい方と、 幸せになって欲しいのです。」
「違います!!好きな人と一緒になれたほうが、きっとずっと幸せです!!どんなに素敵な人でも、 好きな人と一緒にいることより、幸せになれることなんて、ありませんわ!!」
 ミネアの言葉に、クリフトがひるむ。ラグがもう一度聞いた。
「クリフトさん。クリフトさんはどうしたいんですか?クリフトさんが、アリーナさんのことを好きじゃない、 恋人だとは思えないって思うなら、僕は仕方ないと思います。…本当はどうしたいんですか?」
 どう、したいか。そう考えた時、自分の原点となる風景が、夢が浮かんだ。
”泣いている子供。慰めようとする手に、零れる涙。一緒に泣き続けた、夏の日”
「…私はアリーナ様に、泣いてほしくないだけです。…守りたい、だけです。 私の、側にいたら、必ず泣かせてしまいます。…それが、嫌なんです。」
 すぱーん、と心地よい音。マーニャの平手打ちの音だった。
「あんたの目は節穴?どこが泣いてないって言うのよ!!」
「…泣いて…いらっしゃいましたか…?」
 アリーナはずっと笑っていたではないか。自分の言葉に納得して。
「泣いて、いらっしゃいましたよ。…心が。あれほど切ない笑みは…泣き顔より哀しくなります。」
 ミネアの言葉にシンシアが頷く。
「判りませんけど…ずっと一人で泣いていらっしゃったんじゃありませんか?」
「ねえ、泣かせたくないなら、どうしてあんな表情させるの?あんたは目の前のことしか、自分の常識しか見えないの?」
 女性三人の言葉が突き刺さる。そして。
「クリフトさんは、自分でアリーナさんを守りたくはないんですか?それとも、誰かの手にゆだねたら それでいいんですか?一番、大切なものはなんですか?…僕なら、好きな人は僕自身の手で守りたいです。」
 その言葉に、クリフトは背を向けた。そして走り出す。何のことはない、ただ、ホテルがラグとは逆方向にあったというだけだった。


 クリフトは、走り続けた。ただひたすらに。
 泣かせたく、なかったのに。笑っていて欲しかったのに。
 少し考えれば判った。あれが哀しい笑顔だと。自分が拒絶してしまったためにさせてしまった涙の代わりの表情だと。
 好きかどうかは知らない。ただ、
 自分の手で守りたい。その気持ちが好きとか愛していると言うのなら、それを甘んじて受けよう。
 辛い思いをさせるかもしれない。…旦那様に対しての裏切りかもしれない。
 それでも、アリーナを笑わせたい。笑っていて欲しい。
 クリフトが今考えているのはそれだけだった。一番大切なことは、その事だったのだ。
 クリフトは、ただひたすらに帝国ホテルの(おおとり)の間へと急いだ。

 すでに、15分は過ぎている。相手はいまだ来ていない。目の前の扉も開かない。
 ぼんやりしていた自分はいいが、父はさぞかし怒っているのだろうと、父の表情を眺めてみた。
 むしろ、その顔にはあせりがあった。…たしかにこれだけの遅刻。相手が破談を考えたと思ってもおかしくない。
 それは、アリーナにとって嬉しくもあり、哀しくもあった。
 安心したのもある。だが、もし見合いがなければ、クリフトに酷い事をすることもなかったのに。・・・それに いつまで経っても諦めがつかないようで、アリーナは辛かった。


 (おおとり)の間へと駆ける。こんな急に飛び込み、旦那様に叱責されるだろう。 それとも、相手の怒りを買うかも知れない。最悪の場合、いないことも考えられる。
 だが、とりあえず入ったらアリーナへ駆け寄って、詫びを入れようと思った。
 謝らなくてはならない。アリーナに酷い事を言った事を。…そして、想いを今のこの、そのままの気持ちを伝えようと 思った。
 クリフトは、その勢いのまま、(おおとり)の間の扉を開けた。


 目の前の、扉が開いた。そして、そこには、息を切らしたクリフトがいた。

 扉を開けた先。そこにはテーブルと、その向こうにアリーナとその父がいた。
 意外に思った。旦那様はたしかに(おおとり)の間と言ったはずだった。 アリーナの後ろに扉があるのだから、そちらに辿り着かなければ、おかしいはずなのに。なぜ、こちらなのだろう。
 だが、それに構っていられなかった。クリフトは、アリーナの元へ駆け寄った。
「クリフト…どうしてここへ?」
「…この間はすみません…ちゃんと、私は、アリーナ様に答えを言わなければ…そう思って…」
「こた、え…?」
「私は、私はアリーナ様を泣かせたくないと思います。私自身で守りたいと思います。…これがアリーナ様が くださる気持ちと同じかどうかはわかりません。それでも、私は、アリーナ様、貴方が大切なんです。」
「クリフト…」
 アリーナはぼろぼろと泣き出す。
「アリーナ様の婚約者より幸せにできるかわかりません。ですが、全力を尽くします。ですから、お見合いなんて、 しないでください。アリーナ様…もし、まだ私に愛想をつかせていないとおっしゃるのなら、私と 一緒に来てください!」
 アリーナは立ち上がった。クリフトの腕をつかむ。
「うん、私、クリフトと行く。クリフトと一緒にいたい。そっちのほうがずっとずっと幸せよ!!」
 そう言って笑うアリーナは本当に美しいと思った。クリフトは、自分を育ててくれた恩人を見た。
「申し訳ありません、旦那様。恩を仇で返すようだと、お思いになるでしょう。ですが、私は …アリーナ様にお見合いをしていただくのは嫌なのです。このまま、連れて行きたい、そう思うのです。」
「お父さま、私、クリフトがいい。会ったこともない人より、クリフトと一緒にいたいの!」

 …少しの沈黙。二人の胸が高まる。…父の口が開いた。
「…やっと来たか。アリーナ、紹介しよう。お前の婚約者の、ジョシュア・クリフト・ライザット君だ。」


 二人がぽかんと、口を開ける。父はそれに気にせず笑う。
「何を突っ立っている。…とりあえずそこに座れ。」
 進められるままに、アリーナはもと居た椅子。…そしてクリフトは進められるままに、アリーナの向かいの椅子に座る。
「来ないと思ったぞ。」
「…お父様、どういうことなの?」
「どうもこうもあるか。私が婚約者でもない相手を四六時中、大切な娘の側に置くと思ったのか?」
「だって、だってお見合い写真…顔が違うじゃない!」
「ああ、あれは、クリフト…いや、ジョシュア君の父親の写真だ。」
「どうして…そんなことを…?」
 クリフトの問いに、仕掛け人はやっと真顔になった。
「お前達が想いあっている核心がなかったからな。私とて、好いていない同士をむりやり縁付けるほど悪人ではない。 それに…確かめてみたかったのだ。お前達の想いを。」
「…旦那様…あの、その、つまり、私は、私の親は…」
「ああ、もういない。事故でなくなったライザット財閥の会長と会長夫人だ。」
 夢を思い出す。”ジョシュア”その名前に、聞き覚えがあった。その言葉を、14年ぶりに聞いた。 …深く、深く閉じられた、さび付いた記憶の扉が、ゆっくりと開く。

 ずっと、勘違いしていた。…あの手の持ち主を自分はずっと勘違いしていた。
 泣いている子供を慰めようとしたのは、懸命になにもできぬまま慰めようとしてくれているのは… たった一人の小さな女の子だった。


 貰われてきて、高い樹の上に登った。父は、母は空に居ると聞いて、一番近い場所にいたかった。
 だが、もう手が届かなくって、哀しくなった。ざわざわとした葉ずれの音と共に、クリフトは 泣き出した。そして、泣いて、泣いて泣いているうちに、樹から落ちて。その痛みが哀しさを誘発されて 更に泣き出した。
「お父様…お母様…」
 そう呼び続けて、哀しくて。木陰で泣き続けた。
 …泣いている内に、一人の少女が現れて。そっと自分に向かって手を差し伸べた。それは とても幼くて小さな手だった事を覚えている。
 自分を慰めようとしてくれている手。だが、それに構っている余裕はなくて、クリフトは泣き続ける。 その手はなんとか自分を慰めようとして、空を惑ったが、結局できなくて、一緒に泣き出してしまった。
 …アリーナの涙が、アリーナの手に落ちる。
 そして、二人で泣き出した。そのことにびっくりした。自分のために泣いてくれる人がいることが 嬉しくて。父と母がいないことが、悲しくて。その子を泣かせてしまった事が、哀しくて、情けなくて。
 慰められない自分が情けなくて。悔しくて。ただ泣いてるしかできない自分が、無力で。
 哀しさが募って、一緒になって泣いた。
 どうして、忘れていたのだろう。

 その時から、自分は…ずっと、この人を、守りたかったのだ。ずっとずっと、 守ろうとしてくれる、小さな手が、その持ち主が、こんなにも愛しいと想っていたのだ。


 やっと…やっとここまで書けました!!万歳。『卒業』(という映画があり、 結婚式に恋人を攫う、というシュチュエーションの元ネタはこれなのです。)とおもいきや、実はその裏をかくという…と言っても 予想されていた方も多いのではないでしょうか。鳳と凰。ほとんど同じ字であれなんですけど、 2つあわせて鳳凰(ほうおう)という事で。
 この話を書こう、と思った最大の理由は「クリフトの夢」だったので、そのネタ晴らしができてうれしいです。 蒼夢らしいクリアリが書けたかな?と自分ひとりで満足してます。が、皆様にも気にいっていただけたなら 大満足です。
 次回は、その事後処理と、ラグとシンシアに視点を移す予定です。あと少し、どうぞお付き合いください。



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