何も打ち合わせなく、二人は夜明け前に起きて、黙々と準備を始める。 言葉にしなくともわかる。あのトゥールの胡乱な態度は、あきらかに何かを考えている様子で。そして昼という不自然な 出立の時間から考えれば導かれる答えは一つ。 馬鹿な考えに囚われているのだと、サーシャは心の底で怒っていた。 (…でも…それは。) それは、自分が失敗したからだとも分かっていた。あの時、もう少し早く、バラモスの攻撃からリュシアを守ることができて いれば。前線に出るトゥールとセイ。一族を殺されて仇を討とうとしていたリュシア。周囲の状況をきちんと把握して 守ることが、自分の、自分にしかできない、重要な役目だったのに。そのせいで、リュシアを深く傷つけ、トゥールたちを苦戦に 追い込んだ。 それでも、その責めをサーシャは口にはしなかった。それを一言でも口にしてしまったら、リュシアがさらに傷つくことが 分かっていたからだった。 リュシアは、焦燥にかられる思いで支度をしていた。 伊達に16年、見続けてきたわけではない。あの顔は、何か隠し事をしている顔だと、リュシアには分かっていた。 そして、思い出す。かつてランシールで振られた後、トゥールは早朝一人で旅立ったことを。自分を傷つけて 申し訳ないと、顔も見ないで行ってしまった。 あの時と、同じ予感がするのだ。 (…リュシアが、失敗したから…。) 怒りにかられて前に出て、サーシャまで巻き込み、傷つけた。もっともっと冷静になっていれば、自分でバラモスを 傷つけよう、なんて欲にかられてしまった為に、サーシャの静止を無視してまで呪文を放った。 情けなくて情けなくて涙が出そうだった。 それでも、リュシアはサーシャに侘びを入れることができなかった。もしそうすれば、サーシャはあっさり 自分を許し、それは自分の責任だというだろうからだ。 だからこそ、今自分にできることは、トゥールと共に行くことだと二人とも理解していた。そうして、二人はほぼ無言のうちに 家を出て、トゥールの家の前まで向かった。 空が、淡く赤く染まっていた。空気はまだ冷たく澄んでいて、すがすがしい気持ちになった。 トゥールの部屋の窓の明かりが灯っていないのを確認して、二人は立ち止まる。 二人には確信があった。トゥールが朝、こっそりと出て行こうとしていることを。…だが、それはあくまで仮説であり、 トゥールはまったく別のことで悩んでいた可能性もある。なんだかんだ理屈をつけても、結局根拠は『女の勘』でしか ないのだから。 ただの勘違いだとすれば、寝ているトゥールや、その家族を早朝に起こしてしまうことになる。それは さすがに申し訳なさ過ぎる。非常識だ。 かといって、ここでこうしているのもらちがあかない。それにさすがに寒い。二人は立ち止まって顔を見合わせた。 「…どうしよう…。」 「そうね…。…そうだわ、ラーミアに乗って待ちましょう。ギアガの大穴にはどうしたってラーミアに乗らなければならないし、 昼前になって来なければ移動すればいいのよ。ラーミアなら暖かいし。」 サーシャの言葉に、リュシアは頷く。そして二人でラーミアのところまで移動することにした。 ラーミアはあまりに目立ちすぎるため、近くの森に隠してあった。隠す、とはいえ相手は巨大な鳥だ。森の入り口までくれば すぐ分かってしまうが、幸いこの騒ぎだ。森にわざわざ訪れる者はいないだろうから問題ないだろう、と 考えたのだ。 …なのに。 「ラーミアが、いない?」 入り口に来て、すぐにわかった。ラーミアの姿が感じられない。隠したときは、確かに見えていたのに。リュシアは森の 奥へと駆け出す。だが、やはりいない。 「…サーシャ…!」 「戻りましょう!!」 二人は急いできびすを返し、トゥールの家の扉をノックした。すぐに扉が開く。トゥールの母、メーベルが顔を出した。 「サーシャちゃん、リュシアちゃん…。」 「おば様、こんな早朝にごめんなさい、あの…。」 サーシャの言葉をさえぎるように、メーベルは手紙を差し出した。分厚い手紙だ。 それはすぐに旅立つ薄情な息子から、広い心で待っていてくれる篤実な母親への愛の手紙だった。
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