ぼんやりと目を開けると、二つの黒い人影。
「ごめんなさい!」
 目をつぶり手で身構え、そうやくその人影が両親でないことに気がつく。
 しっかりと目を開けると、そこには若い男女がこちらをじっと見ていた。
 この狭く小さな船の中で、無事に出られたことこそが奇跡だと言える。
「…君は…流星君かい?」
 流星は小さく頷いた。だいたいの事情は分かっているのだろう、二人は顔を見合わせた。
「…ごめんなさい。」
「大丈夫よ、おびえなくても、ね?」
 女は優しく微笑んだ。
「…どうしても、僕、本当のお父さんに会いたくて…、だから…。どうか、帰さないで!」
「…場所は分かってるのか?」
 男の言葉に、流星は少し考える。
「たまに、木の上からぼんやり見える、大陸の十字架の教会…、多分そこにいると思う…。」
 噂話を聞いた。父から聞かされたこともあった。自分が生まれる前に、金色の髪のガイジンが、そこから来ていたと。
「…わかった。そう遠回りじゃないから。そこまで連れて行ってあげるよ。」
 男の言葉に、流星は大きく息を吐いた。
「…ありがとう…。」
「それじゃ、短い間だけれどよろしくね。私は藤。こっちは夫の芦彦よ。」
 藤のやさしい笑顔に戸惑いながらも、流星はもう一度小さく頷いた。


 それからたった三日。ほとんど生まれて初めての大人の優しさに触れ合ったこの時は、とてもとても新鮮なものだった。
 後から思い返せば、水や食料のことを考えて、引き返したり海に突き落とされてもおかしくなかったと思う。
 それでも芦彦はぶっきらぼうに、藤はまるで包み込むようにやさしくしてくれた。

 そして、別れのとき。二人は教会の前まで流星を送ってくれた。
「…何があっても、しっかりやれよ。」
「元気でね。…何もできなくてごめんなさい。」
 芦彦は相変わらずぶっきらぼうに、藤は少し涙ぐみながら手を振って去っていく。それを見て寂しいとは思ったが、 それ以上にようやく会える『本当のお父さん』への期待に胸を膨らませていた。
 …振り返ると、藤の涙が、その先のすべてを語っていたのかもしれない。



 教会に入ったとたん、入り口近くにいた者に優しく声をかけられ、流星は全てを話した。
 教会は、大混乱になった。まさに上を下への大騒ぎ。そうして、ようやく収まったのはそこの教会長が現れた時だった。

 少しくすんだ金色の髪。自分の父親より若干年上の中年の男は、優しそうな青い目でこちらを見た。
「…君かい?私の息子と言うのは。」
 しゃがみ、流星の目線に合わせてくれた『偉い人』がそう言った。
「…おじさんが、僕のお父さんですか?」
「君が言うのが、10年ほど前にジパングへ言って布教活動をした神官のことなら、確かにこの私だよ。…でもね、 私は君の父親ではないよ。」
 そうして、教会長は流星に話して聞かせた。金の髪と黒い髪の親からは、白い髪の子供はほとんど生まれないこと。 そして自分は流星の母親と、子を持つような行いはしていないこと。そして…。
「流星君、君は白い蛇は見たことがあるかい?」
 流星は頷く。
「そうか。あんな風にね、色をもたないで生まれてくる子供が、ごくまれにいるんだ。おそらく、君もその一人なんだ。 目は…あんまり影響がなかったみたいだね。その髪は遺伝じゃないよ。」
 優しいその言葉は、流星をひどく痛めつけた。
 流星は泣き叫んだ。あの母の嘆きが、本当に自分のせいなのだと。母には一点も罪はなく…そしてそれを 自分が信じていなかったのだ。
 全て自分が悪い。自分のせいで、母は泣き、父はいつも怒っていた。誰のせいでもなく、自分一人のせいで。

 泣いて泣いて、気絶しそうなほど泣いて、ようやく落ち着いた流星に、教会長は行った。
「もし行くあてがないのなら、ここで一緒に神の教えを学ぶといい。きっと君の行く末の道しるべになってくれる はずだ。」
「教会長様!お言葉ですが、このようにどこの者かも分からないものを…。」
「これは私の未熟な行いが起こした悲劇だ。私が全ての責任を負おう。あの時、私がきちんと神の教えを 広げることができていたなら、この子はこんなことにならなかったはずだからね。どうだい?」
 流星は小さく頷いた。他に行く当てもなく、もう希望もなかった。

 流星は一人、礼拝堂の隅で息を吐いた。
 ここは流星にとって、居心地の悪い場所だった。
 教会長以外の人間が、自分をあまり歓迎していないことは感じていた。それでも、そんな空気はもう慣れっこだった。
 物を隠されたり、足を引っ掛けられたり、嘘を教えられたりすることも特に気にしてはいない。
 …ここで教えてもらったことが、そもそもなじめないのかもしれない。
 ここでは、ルビス様というえらい神様がいて、その神様がたくさんの神様や精霊をつくり、世界や自分たちを 守っている、と教えていた。それは絶対的なものだと。
 故郷では、神様はどこにでもいると。全てのものに神は宿るのだと教えていた。そちらにどっぷり漬かっていた自分には ぴんとこない。
 …もし神様が絶対的ならどうして、自分の髪は白いのだ。髪がちゃんと黒かったら、黒い髪で生まれて来てさえすれば、 自分は幸せに過ごせたのに。
「どうして、どうしてなのですか?神様…私は、何も悪くないのに…。」
 自分の声を代弁するかのような声が、聞こえてきた。はっと顔を上げると、ルビス像の前に、一人の女性が祈りをささげていた。
「愛していたのに、誰よりもあの人を愛していたのに…、どうして、あんな女と…?私が綺麗じゃないから?どうして神様、 私をもっと綺麗に作って下さらなかったんですか?」
 頬に流れる涙にぎょっとしながら、神に怒りをぶつけるその女性に、流星は思わず声をかけた。
「…お姉さんは綺麗だよ。」
 はっとして女性は振り返る。白い髪に、見習い修道服を着たその少年を、女性は思わず天使だと見間違った。
「あ…いやね、聞いていたの?坊や、ごめんなさい。」
「…お姉さん、綺麗だよ。髪の毛も綺麗な赤色で、夕焼けみたいだ。」
 泣きやんでほしくて。…悪くないのに泣き続けた母と同じように泣いてほしくなくて、流星は必死でそう言葉を搾り出した。
「…そう?」
「うん、目も綺麗な緑色だし、口もお花みたいだよ。お姉さんはとっても綺麗だって思うよ。」
 一生懸命な流星の言葉に、女性はぱっと笑った。
(なんだ、これでいいんだ。)
 嬉しかった。笑ってくれたことが。
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ。…うん、なんだかがんばれそうな気がする。」
 女性はそう言って、帰って行った。
 あの女性が、母とは違うことは分かっている。それでも…泣かれるのは嫌だった。だから、笑ってほしい。
(笑ってくれたらいいな。)

 それから、教会に来て祈っている女性に、流星は頻繁に声をかけるようになった。褒めたり逆に怒られたりしながら、 最後には笑顔になってくれるのが嬉しかった。
 女ばかりの声をかけていると、教会内での嫌がらせがひどくなったけれど、流星は相変わらず気にしなかった。それよりも 女性が笑ってくれることの方が、ずっとずっと大切だった。


 そして、そんな生活は、一年ばかりであっけなく、終わりを迎えた。
 流星が父だと間違えた教会長が、病気で死んでしまったのだった。皆で見送った後はしばらく混乱したが、やがて 別の教会から同じくらい偉い神官が送られてきた。
 今度は少しくすんだ茶色の髪の、前の教会長より少し若い…自分の父親くらいの年齢の神官だった。
 その神官は最初に全員を集め、名簿を見ながら一人一人名前を呼び…そして最後に流星を見た。
「…ん?君は登録されていないようだが?」
 いぶかしげに見たその視線が嫌だった。やがて、誰かがぼそぼそと新しい教会長へと耳打ちをする。
「…そうか、前の教会長の残した面倒ごとか…。まったく面倒なことだな。」
「…はい。」
 じろじろと見るぶしつけな目。やがて教会長は軽蔑の目に変わる。
「なるほど…。君は、神の教えを学びにきたわけではないのだろう?ここにいるにはふさわしくないと思うが どうだね?良かったらどこか行くあてを紹介するが?」
「…たら…、」
 むかついた。あの優しい教会長の死を悼まない男に。
 その目が嫌だった。前の教会長の目とは違う。
 上から厄介者を見る目。…自分の父と同じ目だ。
「だったら出てってやるよ!!」
 流星は着ていた僧服をかなぐり捨て、地面に打ち付けると、そのまま教会を飛び出した。



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