ほとんど泣き出しそうな思いで、リュシアはトゥールの家へと歩いていく。
 そんなことあるはずない。
 リュシアはずっと見てきたのだ。ずっとずっと、トゥールが好きで、だから知っているのだ。トゥールが サーシャのことをずっと見ていたのを。
 振られたときは悲しかった、辛かった。サーシャを恨みさえした。
 けれど今は、サーシャじゃないと嫌だ。トゥールの相手は、サーシャじゃないと嫌だった。
 なのに、ようやくサーシャが、トゥールを好きになったのに、トゥールが振るなんて、そんなの絶対 何かの間違いだ。
 トゥールがサーシャの心を傷つけてしまうなんて、そんなの、絶対に認めたくなかった。
 ぽろりと涙が一つこぼれ、それを夢中でこすっていると、正面から人にぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい……。」
「なにやってんだ、リュシア。」
 その声は、誰よりも頼りになる人の声。そのあまりのタイミングのよさに、感極まってしまう。
「セイ!!!」
 思わずそのままセイに抱きつき、ぽろぽろと涙をこぼす。突然の行動に、セイは焦りながら天を仰ぐ。
「リュシア、おーい、リュシア、これじゃ俺が泣かしてるみたいだろが、勘弁してくれ。」
「だって、だって……。」
「どうしたんだ?ちゃんと説明してみろ。聞いてやるから。」
 そっとリュシアを引き離し、セイが顔を覗き込む。リュシアはしゃくりあげながら答えた。
「し、失恋、したの。」
「……だ、だれに、だ?」
 セイの顔が一瞬にして凍りついたことにリュシアは気がつかない。
「トゥールに。」
 その言葉に、思わず深い息を吐くセイ。そしてぎこちなく頭を撫でた。
「ま、まぁ、あれだ。そんなに気を落とすなよ。お前は……」
 何かを言いかけようとするセイに、リュシアはようやく勘違いに気がついて急いで首を振る。
「違う違う、わたしじゃないの、サーシャなの。」
「サーシャが、トゥールに振られたって事、か?それこそありえないだろ?!」
 驚愕するセイに、リュシアも涙を流しながら首を振る。
「わたしもそう思うの。でも、サーシャが……。」
 リュシアは簡単に事情を説明する。それを聞いて、セイはリュシアの肩を叩いた。
「わかった。んじゃ、俺が事情を聞いてくる。男同士の方がいいだろうし、サーシャは風邪なんだろ?そっちは色々 大変だろうし、着いててやってくれ。」
「わかった。戻る。セイ……お願いね。」
 頷くリュシアに、セイは苦笑する。
「お前は優しいなぁ。一度振られてるのにな。」
 そう言ってぽん、と頭を優しく叩くセイに、リュシアは笑いながら答えた。
「だってわたし、魔法使いだから!」


 リュシアが出て行き、追いかけようとした途端、めまいに負けてベッドにへたり込む。
 涙が再びあふれてきた。
 そんなわけない、リュシアはそう言ったけれど、それこそそんなわけがない。
 人の想いは変わるものだ。自分が、トゥールを好きになったように、トゥールが自分を好きじゃなくなり、他の 誰かを好きになることも、時の流れのなかで当然のことだ。
 ずっと怖かった。自分がなんなのか。いつもいつも、痛みとともに背中に張り付いていた『神様』に怯え、恐れ、それでも 信じていた。そして信じ切れなかった。
 その不安を、トゥールにぶつけていた。そして、トゥールはそれを受け止め、自分の中で昇華して新たな 力と変えていた。そして、その力で、自分に手を差し伸べてくれた。
 そんな強い、優しい人だから言えなかったのだろう。自分への興味が薄れていることを。
 風邪を引いた。……それは、徐々に『聖なる守り』から人間へと戻っていっているのだろう。……つまり、きっと ルビス様が自分の中に作り上げた『魅惑』が消えていっているのだろう。ただの人間の私には、きっと なんの魅力もなくて。
 そんな自分に、できることはあるのだろうか。
 なおあがる熱と、途切れない涙の中で、サーシャはずっと考え続けた。


 以前の時ほど優しくするつもりはない。
 セイはトゥールの母親に挨拶すると、足音高くトゥールの部屋へと入り込んだ。トゥールは 机に向かっていたらしい。突然入っていたセイに、トゥールは目をむく。
「せ、セイ?!」
「どういうことだ?」
 目が完全に据わっているセイを見て、トゥールはとっさに身を引いた。
「ど、どういうことって……?」
 トゥールの母親いわく、トゥールはサーシャの見舞いから帰って来てからずっと、部屋にこもりきりになっていたらしい。 つまり、告白が聞こえてなかったという事はないはずだ。
「お前が、サーシャを振ったってことだ!」
「ええ!!」
 トゥールは驚いて声を上げる。その様子に、セイは聞き返す。
「なんだ?サーシャの勘違いなのか?ごめんって言われたって言ってたぞ。」
「あれ……一緒にいるって言ったのに守れなくてごめんって……言わなかったのかな……僕。」
 頭の中では、そう言ったつもりだったのだが、思い返してもその言葉は出なかったように思う。それだけ 驚いていたからなのだが。
「おいおい、振られたって泣いてたらしいぞ。」
「僕そんなつもりじゃ!!」
 そう言って椅子を倒して立ち上がり、部屋を出ようとして……椅子を戻してまた座った。
「……やっぱりやめとく。」
「あ?」
「サーシャは風邪で寝込んでるし……今、僕が行ってもどうしようもないよ。」
 その言葉に顔をしかめ、セイはトゥールにつめよった。
「どういうつもりだ?だいたいなんだって返事せずに出てきちまったんだ?返事しだいじゃただじゃおかねーぞ?」
「……怖かったんだよ、セイ。」
「は?」
 トゥールは複雑な笑みを浮かべている。
「サーシャは僕に好きって言ってくれた。……それが本当なのか、僕にはよくわからなかったんだ。」
「……それはお前が考えることじゃないだろ。」
「だって、初めて風邪を引いて、弱気になってて……そんな時の気の迷いかもしれないじゃないか。 治った後サーシャ、どんな気持ちになると思う?すごく気まずいよ。」
 ぼそぼそとつぶやくトゥールに、セイはため息をつく。
「だからってなぁ…。」
「……だから、ちゃんと考えて欲しかったんだよ。風邪の勢いでなんてさ。違ったら怖いし。もし本気なら やっぱり、ちゃんとした状態で言って欲しいよ。……ずっと、待ってたんだから。」
 ちょっと膨れながらそう言ったトゥールの頭に、セイは力いっぱいの拳骨を入れる。 脳みそがごちゃまぜになりそうな衝撃に、トゥールは頭を抑えて涙を浮かべた。
「いたい!いたいいたいいたいいたい!ちょっとレベルいくつだと思ってるのさ!僕じゃなきゃ死んでるよ!!?」
「むしろいっぺん死んで来い。……まぁ、言いたい事は分かった。このあたりで勘弁しておいてやる。ただ、 サーシャの風邪が治った後、フォローもなんにもしなかったら……その時は分かってるだろうな?!」
 トゥールはこくこくと涙を浮かべて頷いた。

 そうしてセイが出て行くのを見届けて、ふう、とため息をつく。
『信じられない』サーシャに言われて真っ先にそう思った。
 ずっと好きだった。たった一人、自分を『自分』だとみなしてくれる人。ちっぽけな自分に、どんどん勇者という期待で できた張りぼてを着せていく周りの人の中で、たった一人だけその中から手を伸ばして救ってくれた人。
 自分は『弱虫』で『泣き虫』で『馬鹿』で……それでも、『まだまだ』勇者には足りないけれど。いつか 彼女に認められるのだと、走り続けた。間違った事はしてはいけないと、どこまでもまっすぐに正しく いる彼女に、いつかふさわしくなろうと。
 その彼女が目の前で、両手を広げてくれた。……それが嬉しくて、どこか怖い。それが本当の心なのかわからなくて。 自分は本当に、彼女にふさわしいほど、成長できたのだろうか。
(そうだったら、嬉しいんだけど。)
 泣いているのだろうか。そう思うと胸が痛む。けれど。
(……刺されたりしたし、ね。ちょっとだけお返し、かな。)


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