気がつくと、何もない場所に座り込んでいた。空を見ても、前を見ても、霧が立ち込めているように真っ白だった。
 時間の感覚もつかめない世界だが、それでも相当長い間ここに座り込んでいたような気がした。
 このままぼんやり座っていようか、…そう思えるほど心地よい、ぬるま湯のような世界。それでもリィンは立ち上がり、 理由もなく歩き始めた。

 どこまでも、どこまでも白い世界。麻痺する頭。何故ここにいるのか。何をしようとしているのか。そんなことすら 思いつかない。そうして歩いていると、ようやく白くない、何かが見えた気がした。
 それは、粘土の様な形をして、表面がさざめき…少しずつ、姿を変えた。初老の男。 寄り添う品のある女性。その隣で笑う、丹精な顔の男性。その後ろにも、たくさん人がいた。
 その人たちが誰なのか、リィンには一目で分かった。その人物たちは、リィンにこう呼びかける。

 ”…こっちへ…おいで…リィン…”


「お父様…お母様…!!?皆!!」
 あれは、城で、自分の側にいたもの。あの時の襲撃で死んでしまった城の者たちが、そこに立っていた。 こちらに向かい、手を振って呼びかけている。
 ”こっちへおいで…リィン…”
 ”姫様…こちらに、いらしてください…”
 ”早く、こちらに来て…愛しいリィン…”
「お父様、お母様!!」
 リィンは走り出した。ずっと望んでいた光景。ずっと欲しかったもの。自分が必要だと、望んでいるとずっと言われたかった。 たとえ『こちら』が死だとしても…リィンの戸惑いは何もなかった。
「お父様、お母様!!」
 皆のところに、飛び込もうとした。その時だった。

「リィン、だめ!!」
 その間に、ルーンが割り込んだ。間をさえぎり、リィンを抱え込む。ルーンのその背中に、今まさにリィンに襲い掛からんとした 一枝がルーンの背中に強く触れる。
「ぐ…」
 ルーンがうめくが、リィンは気にならなかった。そんなことはどうでも良かった。
「離して、ルーン!お父様が、お母様が呼んでいらっしゃるの!離してぇ!!」
 ルーンの手を引き離そうとする、が、ルーンはリィンの腰に手を回して抱きとめる。
「駄目だよ、リィン、行ったら駄目!!」
 そしてルーンは強引にリィンの体を持ち上げ、そのまま走る。
 徐々に遠ざかる両親が、リィンに呼びかける。
 ”どこにいくんだ…リィン…”
 ”私たちを、見捨てるんですか…姫…”
 ”リィンディア…こちらに、こちらに来て…”

 ルーンの肩越しに見える皆の姿に、リィンは泣き叫び、暴れる。ルーンの 頭を殴り、足を蹴り上げ、頬をひっかく。ルーンから逃れようと必死に抵抗をする。だが、ルーンは決して離しはしなかった。
「離して、わたくしの事など、ほっておいて!お父様が、お母様が、みんなが呼んでいるの!!離して、ルーン!!」
「駄目だよ!落ち着いて、リィン!!リィンのお父さんもお母さんも、死んじゃったじゃないか!!」
「知っているわ!けれど、そんなことはどうでも良いのよ!!お父様が、お母様がわたくしを呼んでくださっているの!! わたくし、行かなくては!!」

 両親の姿が見えなくなったところで、ルーンはリィンを降ろす。がっしりと肩を掴み、リィンに言い聞かせる。
「落ち着いて、リィン!あそこに行ったら死んじゃうよ!」
「そんなことは構わないわ!お父様とお母様が一緒に行こうと言ってくださっているのですもの!!そう、望んでくださっているん ですもの!!離して頂戴!!ルーン!!」
 その言葉に、ルーンはリィンの肩を、強く、強く掴んだ。激痛と言ってもいいほどの痛みが、リィンの肩に響く。 その痛みにも耐えかねて、リィンはルーンに訴える。
「離して・・・!」
「…いい加減にしなよ!!」
 その訴えを止めさせたのは、ルーンの怒鳴り声だった。


 …その言葉に、ようやくリィンは我に返った。あまりにも驚いて、両親のことすら、頭から消えた。
 鋭い目、かみ締めた口。高潮した頬。さきほどリィンが引っかいた傷から、血が流れていた。
「…もしかして、ルーン…怒っていらっしゃいますの?」
 ルーンとはそれなりに長い付き合いだった。頻繁に会っていたわけではないが、幼いころから何度も顔をあわせていたし、 この旅が始まってからはずっと一緒にいる。
 だが、ただの一度も、ルーンが怒っているところを見たことはない。真剣な顔で「許せない」と憤っていても、 こんな風に怒鳴っているのは見たことがなかった。
「…当たり前だよ、僕が怒らないと思っているの?リィンの馬鹿!!」
「…馬鹿ですって…」
 リィンの頭にも血が上る。驚いていたことも忘れた。そのリィンに、ルーンが追い討ちをかける。
「そうだよ、リィンの馬鹿!どうして分からないのさ!!」
 もう一度繰り返されて、カッとなってリィンは怒鳴り返す。
「貴方に、何がわかりますの!」
「…分かってないのはリィンじゃないか!!」
「何が分かってないっておっしゃいますの?!」
「どうしてリィンにわからないのさ!お父さんとお母さんの気持ちが!!」
 その言葉にリィンは何も言えなくなって、ルーンを見つめた。


「お父様と、お母様の…気持ち…?」
「そうだよ!どうして、どうして分からないの!」
 それが分かるというのなら、むしろリィンは教えて欲しかった。そして、子である自分が分からないのに、他人が 分かっていると言う、その事実にリィンは涙をこぼした。
「…分からないわ、わからないわよ!お父様もお母様も、わたくしには何も言ってくださらなかったのですもの!今、 初めてわたくしに、こっちに来て欲しいって言ってくださったんですもの。」
 ぼろぼろとこぼす涙を、ルーンはじっと見ていた。
「わたくしのせいで、皆死んでしまったの…だから皆がそう望むなら、わたくしはそれを叶えなければならないのよ! わたくしを守るために…皆、わたくしをかばうために死んでしまったの…お父様も、お母様も、ばあやも、お兄様も皆!!」
 激情のまま、リィンはそう叫んだ。止まらない涙が、頬を伝う。
「…だからだよ。」
 リィンの言葉に、疑問はあった。だが、今重要なのはそれではないと分かっていた。 ルーンは怒りを治めて、リィンを抱きしめた。ゆっくりと頭をなでる。
「皆、リィンを守りたかったんだよ。死んで欲しくなんかなかったんだよ。お父さんも、兵士さんも、死んだ後だってリィンを助けて 欲しいって魂になってまで言ってたんだもの。命をかけて守った人に死んで欲しいなんて人いないよ。 皆リィンに生きて、幸せになって欲しいから、守ったんだよ。」
 その言葉が、ゆっくりとリィンの中に染み入っていく。ルーンの体温が暖かくて、頭をなでられるその感覚が、 懐かしくて、少し泣いた。

 ルーンは優しくリィンの頭をなでて、後ろを向かせた。リィンの目に、遠くにこちらに向かってくる両親たちの姿が映る。
 ”こっちにおいで…”
 ”早く、こちらに来て…私たちと一緒にいきましょう…”
「よく見て。…あれは、本当にリィンのお父さんたちなの?リィンのお父さんたちは…死んで欲しいなんて願う人たちなの? よく考えて…よく、見て…」
 じっと、こちらに近づく城の皆を見つめる。その姿は、少しずつぼやけ…やがて、大きな赤黒い大樹へと姿を変えた。


 うごめく触手のその色は、まさにあの時、ムーンブルクで見た、血の色。
 呪いの大樹はこちらに枝を伸ばし、リィンに襲い掛かる。
「きゃぁぁぁ!」
 ルーンはリィンの腕を引いた。そのまま反転して走り出す。
「あれは一体なんですの?」
「多分だけど、ハーゴンの呪いだよ!!僕の夢にもレオンの夢にも入り込んできてたんだ!!」
 その言葉で、リィンが納得した。仮にも魔術の心得があれば、呪いの基礎くらいは理解できるものだ。
「幻影で惑わすと言うわけですわね…」
「でも、これだけじゃないかもしれないんだ。僕たちが寝てるなら、モンスターが攻めてきてるかもしれない。今 、レオンが守ってくれてる。早く助けに行かなくちゃ!!」
「分かったわ。…ここはわたくしの夢の中ですのね。このまま走ればいいのかしら?」
「リィンはそうして。レオンを助けてあげて!」
 その言葉に、リィンは聞き返す。
「ルーンは?」
「…僕は、あれを倒してから行くよ。」
 そう言って、ルーンは足を止めた。リィンの手を離す。
「大丈夫なの?」
「…うん。僕、絶対許さないから。もう、二度とあんな真似できないようにするよ。」
 その顔は、やはり怒っていて。驚く気持ちと、新鮮な気持ちで一杯だった。
「わたくし、ルーンは怒らないんだと思っておりましたわ。」
「そんなことないよー。僕だって怒る時は怒るよ。でも…もしかしたら初めてかも知れないけどー。」
 そう笑うルーン。リィンは少し笑って、そして神妙な顔をした。
「ごめんなさい。助けに来てくれたのに、ずいぶんとひどいことを言いましたわね。」
「いいんだよー。それより、急がないと!レオンが危ないよ。」
「ええ!ルーンも気をつけて!」

 リィンが走り去ったのを見届け、ルーンは大樹と対峙する。ここはリィンの夢。夢から覚めるまでの時間は、そう ないだろう。
「絶対に、許さないから!!」
 そう叫んで、ルーンは大樹へと切りかかった。



 最後の薬草を口の中に放り込んで、強引に飲み干す。だが、切られた傷は多く、そう簡単に治らない。
「くそ…このままじゃ…」
 一匹を切り捨てている間に、別の一匹が二人に迫る。それを切り倒している間に、自分の背中に襲い掛かるモンスターの 爪がかすめる。
 もうどれくらいこんな戦いを続けてきただろうか。どれくらいの敵を切り倒しただろうか。もう分からない。
「ちっくしょ、とっとと起きろ!!」
「バギ!!」
 レオンの声にこたえるように、呪文が響いた。
「リィン!」
「お待たせしましたわ。今傷を治しますわね。」
 そう言って回復呪文を唱える。
「ルーンは!?」
「すぐ来ますわ!…それよりも…」
 そういうと、リィンはモンスターに向き直る。大きく杖を掲げた。
「わたくし、今とても怒っておりますのよ!!申し訳ありませんが、八つ当たりさせていただきますわ!!!」
 そのとたん、すさまじい風が、モンスターを切り裂いた。
「わりぃな、俺もだよ!!」
 リィンの言葉ににやりと笑い、レオンは剣を再び構えなおし、モンスターに切りかかった。



「おはよー。」
 モンスターの姿がほとんどなくなったとき、後ろからのんきな声がする。
「遅えーよ!もう終わりだぜ!お前の分、残ってねえからな!!」
「あははー、ごめんねー。」
 そう言っている間に、最後の何匹かがリィンの呪文で吹き飛ばされた。リィンがルーンに駆け寄る。
「ルーン!大丈夫でして?怪我は?」
「ないよー。あの呪い、精神へのダメージみたいだしー。ほら、なんともないよ。リィンがひっかいた傷も消えてるよー。」
 にっこり笑ってぐるぐると腕を振り回し、無事をアピールする。あったはずの頬の傷も 含め、実際外傷はなさそうだった。
「…そう、良かった。」
 脱力して、リィンはぺたりと座り込む。
「…引っかき傷?リィン、おめー何やったんだよ?」
 いぶかしげに言うレオンに、ルーンが笑う。
「あははー。レオンこそ、傷はない?」
「ああ、ないぜ。ご苦労さん、ルーン。」
「レオンこそ、ご苦労様。」
 二人がにっこりと笑いあった。

 空に、一筋の光がさす。長い夜が、明けようとしていた。


 いえーい!ついにこの話が書けましたよ!この話は、かの中編「呪い。」より前に考えていたお話です。 ようやく書けて嬉しい限りです。ルーン大活躍の回です。
 しかし長い間考えていたわりに、文章が稚拙です。戦闘シーンって苦手なんですよ。体の動きを 文字で表現するのって難しいですね。要修行です。
 ルーン、此処で初怒り…なんですが、二人とも、ほとんど子供の喧嘩ですね。怒りなれてない人が怒ると、 なんだか不恰好になる…というものが出ていればこれ幸い。

 リィンの謎の発言については次回フォローいたしますので、どうぞご期待くださいませ。

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