三人は、無言のまま船を下りる。
 むせ返るような薔薇の匂い。嗅いでいるだけでレオンはいらいらとして足を速める。できるだけ 薔薇の香りがしない、遠くへ。ルーンを引き離すつもりで足を動かす。
 何も考えたくなかった。考えるだけで怒りがこみ上げる。何匹モンスターを倒したかも覚えていない。 二人がどういう行動を取っていたかも知らない。ただひたすら街へと足を運んでいた。

 川のせせらぎ、雫が広がる音。水に反射して夕焼けに照らされて、街も人も顔も赤く染まる。
 ベラヌールは水に抱かれた街。水と共に生き水を愛する街。そんな言葉にふさわしい、美しい街だった。
 その入り口で、レオンの足が一瞬止まる。
(…これからどうする…?)
 ここまで来たのは、勢いだった。ただ、することがないからこの街に来た。とりあえず動いていたかったのだ。
 この街へは、紋章を探しに来た。だが、このまま自分ひとりで情報収集をするのは少し無理がある。かと言って、 ルーンに頭を下げるのは嫌だった。リィンに頼めばいいのだろうが、リィンもショックを受けていることくらいはわかっていた。
 後ろから近づいてくる薔薇の香りに、レオンの心が焦る。
 外は良い具合に夕暮れ。せっかくだから宿に泊まることにして、明日のことは明日考えよう、そう思ってレオンが 足を動かした時だった。

「あああ…なんということでしょう…」
 震えた声がした。見ると神職らしき男が、じっとこちらを見ていた。
「…なんだよ、おっさん。」
「なんと、不吉な…貴方たちの周りに、不吉な空気が漂っています…」
「あ?」
 聞き返したレオンの声は、聞こえないようだった。
「そう…この空気は…人の死を告げる…死相…とても邪悪な力があなた方にとりついています…おおおお、恐ろしい…」
 がたがたと震えるその男が、またレオンの神経をささくれ立たせた。
「うっせぇ!俺はいつだって生死をかけてんだよ!!がたがた言ってんな!!」
 そう怒鳴りつけるレオンの大声に、街の人たちは振り向くが、レオンはずかずかと足音高く街の奥へと入り、 そして目についた宿屋に入る。
「おや、いらっしゃい。三名さんかい?」
「いや、ひと…」
「ええ、三人ですわ。一人部屋がよろしいのですけれど、三部屋開いておりまして?」
 レオンの言葉をさえぎって、息を切らしたリィンが女将に声をかける。
「ああ、開いてるさ。このところ、旅人さんは珍しいからね。案内させるよ。」


 ずっと考えていた。船の中や外を歩きながら。
 ルーンはいつもと変わりない様子で。…少しだけ落ち込んでいるようだけれど、それでも変わりなくて。ショックだと 同時におかしいと感じたのは、つい昨日の話。
 いつものルーンならば、そもそもこんなことはしないし、こんなことにはならない。
 …それでも、ルーンがレオンとの行き違いをそのまま放置しているのは、明らかにどこかおかしい。
 リィンは、少しルーンの頭にも血が上っていて、船の中で二人が仲直りしてくれるのだろうと、どこか楽観視していた。 きっと自分が知らないうちに、こっそりルーンはレオンの部屋の扉を叩き、何か話し合って仲直りしてくれると 思っていた。…けれど、二人の仲は相変わらずで。ルーンはきっとレオンの部屋を訪れてもいない。

 どうして、ルーンは今まで黙っていたのか。どうして何も言ってくれなかったのか。その理由が わからない。言うチャンスは、何度もあったはずなのに。
 …いいや、意図的に黙っていたのは、あの時口を押さえていたことで判っている。…それが何故なのかわからない。
 この船旅の三日間、ずっとやっていたように部屋のベッドに腰掛ける。すぐに終わると思っていた 沈黙は、この三日間ずっと続いていた。…気がつけば三日ぶりだったのだ、人と話をしたのは。
 そして、唐突に立ち上がる。やっと気がついた。
(考えていても、何も判らない…)
 それは、かつてルーン自身が言っていたことだと、リィンは思い出す。
(わたくしは、待っていただけ…それでは何も変わらない、何もわからないのに…)


 部屋を出て、ルーンの部屋に向かう。雰囲気が悪いと察した女将の計らいだろうか。三人の部屋は 不思議なほどそれぞれ離れた場所にあった。
 息を静めて扉をノックする。もう夜も更けている。寝ているだろうか?
「…ルーン、ルーン…寝ていらして?」
「リィン…?」
 声が返ったことにホッとして、優しく語り掛ける。
「ええ、わたくしですわ。入ってもよろしくて?」
「駄目!!!」
 その声は余りにも激しかった。ドアのノブに手を伸ばしていたリィンの手が止まる。
「…ルーン…怒って、いらっしゃいます…?」
「あ…違うの、ごめんね。僕、あの、今、とってもみっともない格好してるから…ごめんね。…なんの、用かな?」
 そのいつもの声に、リィンの心が少し和んだ。
「…わたくしは…余り良く、ルーンが慰めてくださったこと、覚えておりませんでしたけれど… 今ならぼんやりですけれど思い出せますわ。『皆リィンのことが好きだ』って、そう言ってくださいました。 …ありがとうございます。」
 扉の向こうの気配は、動こうとしない。
「…ルーン…わたくし達が婚約のこと隠そうとしていたこと、気づいていらっしゃったのでしょう? ローレシアに行った時、ローレシア王がそう言おうとしていたことも、気がついていらしたんでしょう?」
「……うん、ごめんね。僕に隠そうとしてくれてること…僕のこと気遣ってくれてること、 気がついてたよ。…嬉しかった。」
 リィンは扉を叩いた。
「どうして、ずっと黙っていらしたの?レオンは…ずっと気遣っていらしたのよ?知ってるって 言ってくだされば良かったのに…」
「…ごめんね。」
 ドン!という激しい音がする。リィンがまた扉を叩いたのだ。
「…そうじゃありませんわ!ルーン!!どうして黙ってらしたのか聞いているのです!!」
「……」
「どうして何も言ってくださらないのです?言ってくださらなければ何も判らないのに!!」
「……………」
 無言が続く。何も答えてくれないことが悲しくて、リィンは両手で扉を叩く。
「ここを開けてください、ルーン!!ちゃんと、会ってお話しましょう」
「…駄目だよ、リィン。」
「何が駄目なのです!」
「…リィンは、レオンの婚約者なんだから、こんな夜中に僕の部屋なんかに、入っちゃ駄目なんだよ。」
「馬鹿!!…そんなの、いまさらではありませんか!!」
 涙声になった。他人行儀なルーンの態度が悲しかった。朝だって昼だって夜だって、そんなこと関わりなく、 自分たちは三人でいたではないか。
 半狂乱のように、扉を叩く。
「どうして、どうしていまさらそんなことおっしゃるの?!そんなことおっしゃるなら、最初から 言ってくだされば良かったのに…」
 涙がこぼれそうだった。必死でこらえながら扉を叩く。
 扉の向こうの気配が動くのを感じた。ゆっくりとこちらに向かってきて、扉の前で止まった。
「…ごめんね、リィン…泣かないで…?」
 それは、扉のすぐ向こう側。扉を隔てて二人はすぐ側にいた。
「泣いてませんわよ?ルーン…ここを、開けてくださいませ…わたくし、ちゃんと、…目を見て…」
「駄目だよ、リィン…」
 その言葉に、少し落ち着いていたリィンの悲しみが盛り上がる。
「では!せめてどうして今まで黙ってらしたのか、おっしゃってください!!そうでないと、 わたくし、呪文でドアを破ってでも入りますわ!!」


 沈黙が、ドアから広がる。長い長い沈黙のように思えた。ドアに額をつけ、こぼれそうに なる涙を何とかとどめる。
「大好き、だから…」
 その言葉に、顔をあげた。
 とても苦しそうな声だった。
「僕ね、二人の事、大好きだから…レオンもリィンも大好きだから…。わがままかも知れないけど、 もう少しだけ、側にいたかったんだ…」
「…ルーン?」
「少しでも長く、一緒にいたかった…三人で楽しく旅を続けたかったんだ…。けど、僕の わがままで二人を、傷つけたね…ごめん…」
「そんなの、言って下さったって…これからだって、ずっと…」
 その言葉に、ルーンはなんの言葉も返さなかった。そして、また長い沈黙。
「…リィン、部屋に戻った方がいいよ。…廊下は冷えるから…。」
「………」
「僕も、もう寝るから。リィンも寝たほうがいいよ。明日、紋章探すんでしょう?」
「……やっぱり、ここは、開けてくださらないの?わたくし達、もう元には戻れませんの…?」
 今度はルーンが無口になる。
「…ルーンは、レオンがお好きなのでしょう?そうおっしゃったじゃないですか!だったら、 どうして…仲直りなさいませんの…?」
「好きだよ、大好き。…けどね、きっと…」
「…きっと?」
 リィンが聞き返すと、ルーンは黙り込んだ。
「…………ううん、なんでもないよ。…お休み、リィン。」
 リィンはその言葉を聞いて、今日はもう駄目だと諦めた。
「わかりましたわ。おやすみなさい、ルーン。また明日ね。」


 リィンの気配が離れていくのを、ドアに身を寄せて感じていた。
「…おやすみ、リィン…」
 ずるずると、重い体を引きずってベットへと行き、どさりと重い音を立てて寝転んだ。

 今日もこれから夢を見る。
 …きっと、最後の夢を見る。



 予定していたとは言え、気が重いシーンでした。私としても仲良し好みなので辛いですね。
 ご予想の通り、次回は「あの」お話になりますです、はい。ある意味踏んだり蹴ったりと言うわけですが… 二人がどういう反応をするか、期待してくだされば幸いです。

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