階段から、一人の男が上がってくる。群青色の髪。細身の身体。優しそうな笑顔。そして 見事なまでに整った顔立ち。
 …フェオストラス・ルミナ・ロト・ムーンブルクその人だった。リィンがあえぐ。
「…貴方が…わたくしの、兄、ですの…?」
 ルーンは、何度か『夢』でフェオを見たことがあったが、自分の目で見るのは初めてだった。少し不思議な気分だった。
 本当は30を越えているはずだが、25くらいに見える。…そして自分の目で見て、初めてこう思った。
(…リィンに…似てる…。)
 そして面白いことに、部品の一つ一つが、ムーンブルク王と王妃に似ているのだ。リィンと王は似ていないのにだ。 親子の神秘すら感じる。
「…リィンかい?長い間辛い思いをさせてすまなかったね。本当に美しく育って…驚いたね。元気だったかい?」
 そっとフェオがリィンの顔に触れる。
「…助けられなくて、悪かったね…これからは二人、力をあわせてムーンブルクを復興しよう?自分でよかったら 協力させてくれるかい?」
「……わたくし…」
 なんと言っていいかわからなかった。これが夢なのか、現実なのか。ここにいるのが、誰なのか…。
「はっはっは、フェオ殿、兄妹の再会もいいが、リィン殿が困っておられますぞ。」
「そうですね、ローレシア王。」
 リィンの元を離れ、フェオは玉座の横に立つ。
「フェオ殿はハーゴンに助けられ、こちらに連れて来られたのだ。最初はひどい火傷だったが…今はこうして完治して 元気になられたのだ。めでたいことだな。リィン殿も天涯孤独かと思ったが、これで一安心だろう?」
「ええ…。」
 そう言って、リィンはちらりとルーンを見た。ルーンの考えを読み取りたかったのだ。そのルーンはただ、 レオンの側に行き、レオンの背中をぽんと押す。レオンは一瞬不思議そうな顔をしたが、次の瞬間笑顔で 口を開いた。
「フェオ…生きてて…くれたのか…俺のこと、覚えているか?」
「もちろんだよ。元気だったかい?」
「ああ、もちろん!俺、ずっとフェオのこと、心配したんだ。元気そうで良かった。火傷したって聞いたけど… 大丈夫か?」
「ああ、レオン。もう火傷も治って、なんともないよ。」
 その瞬間、レオンの目がきらりと光った。そして一瞬にして稲妻の剣を抜き、フェオに切りかかった。


「レオン!!」
「…どうしたんだ、レオンやめなさい!!」
 リィンと、ローレシア王の声を無視して、レオンは剣をおろした。すぐさまフェオは剣を抜き、レオンの剣に合わせる。
「どうしたんだ、レオン!?」
「うるさい!!偽者が黙ってろ!!」
 レオンは剣を振り下ろす。剣の合わさる音がするが、レオンは引かずそのまま足払いをする。そしてそのまま 剣を落とす。フェオは反転して避けるが間に合わず、フェオの顔から赤い血がたれる。
「フェオはこんなに弱くねぇ!!俺の剣なんか、剣を抜くまでもなく避けられるんだ!!俺が 一太刀だって浴びせられるわけがねぇんだ!!」
 レオンは半泣きだった。こんな偽者をフェオだと思ったこと。…そして幸せな夢が破られたこと。それを少しでも 望んでしまったことに哀しくて。
「…それに…それに、フェオは俺のこと、レオンってよばねぇんだ!! フェオは、俺のこと、クルスって…ずっとそう呼んでたんだ!!!」
 そう言うと、レオンはそのままフェオの身体を刺し貫いた。

 それは、二人だけの秘密の名前だった。ずっと神官になりたがっていたフェオは、自分のこの名前を気に入り、そう 呼んでくれていた。フェオにだけ、レオンはそれを許していた。
「リィン、これは幻だ!!洗脳じゃない!!現実でもない!!!ルビスの守りを!!」
 思えば最初からそうすればよかったのだ。…だが出来なかった。この幸せな夢を少しでも信じていたかった。
 リィンはその言葉に答えて、ルビスの守りを天に抱き祈った。
 美しい声が、どこからともなく聞こえた。まるで天上の金属を鳴り合わせたような、柔らかで澄んだ声。
「騙されてはいけません…これらは全て幻です…さぁ、しっかりと目を開き、自分自身の目で見るのです…」
 言葉が終わるや否や、ルビスの守りからまばゆい光があふれ出し、三人は思わず目を閉じる。
 まやかしを焼く光。それは強く厳しく、全てを包み込む。
 …光が収まったことをまぶたの向こうから確認して、三人は目を開く。そこには…邪に染まりきった、神殿があった。


 とたんに、寒さが襲い掛かる。…いいや、今までも寒かったはずなのだ。だが、それすら騙されるほどの、幻。そして その残骸が、魂となって浮いている…ハーゴンを信じ…結局まやかしの材料として殺されてしまった者の魂が、 哀しく浮いていた。
「…ちくしょーーー!!ハーゴン、居やがるんだろう!出て来い!!フェオを…フェオを返せよ!!!!!」
「…名前か…さすがに昔の記憶は腐りきって、正確には出せなかったな。 …おとなしく騙されていれば、幸福に酔ったまま死ねたものを…何故現実に目を覚ます?」
 遠くから、声が聞こえた。それにリィンが答える。
「偽物のお酒に酔えるほど、わたくし達は安くありませんのよ。貴方のような偽者の神官と違いましてよ。」
 それは強がりだった。もしもあの幸福にいつまでも酔えるなら…そんな葛藤があったことは事実なのだ。
「…はっはっは、下らぬ、ロトの誇りというやつだな。まぁいい、フェオに会わせてやろう。」

 遠くから、近づいてくる人影に気がついていた。ゆっくりとゆっくりと、それは遠くから歩いてくる。その姿は 影に隠れて、まだよく見ることが出来ない。
 ゆっくりと近づくにつれて、姿が見えてくる。そしてその人物が影から顔を出した。

 …その顔は、先ほど見た、フェオの顔を寸分変わりなかった。
 だが…その首から下の身体。袖から覗く手。首の隙間…それは真っ黒に染まっていた。闇に 飲まれたように真っ黒に…腐っていた。なんの穢れのない首が、逆に生首を思い起こさせて不吉だった。
「さぁ、お望みのフェオだよ、クルス、リィン。元気だったかい?」
 にやにやと笑う表情だけが、先ほどの誠実そうなフェオと違うものだった。
「また偽者か?芸のないやつだな。ハーゴン!!」
「そう思うならば攻撃すれば良い。お前の大事な友人をその剣で刺し貫くのならな。」
 フェオの…いや、フェオの皮をかぶったハーゴンの言葉に、レオンの奥歯が鳴る。
「…もっともこの身体は、ただの死体…いや、物だ。切ろうがどうしようが聖なるロトの勇者様が友人を殺したことには ならぬがな。」
 判っていた。あの手の黒ずみはなんなのか。そして漂う腐敗臭の強さはなんなのか。ハーゴンが、フェオの 身体を動かしているその事実は…呪いは、完成している。
 リィンは目の前にある、全てのものをにらみつける。そうすることで、この場所を浄化できるかのように!
「よくも、よくも汚して下さいましたわね!!わたくしの兄を、その名誉を!!…その身体から出て行きなさい!!」
 わなわなと、リィンの体が震える。
「あなた方に多少の知能があれば、決してしない事ですわ!その畜生にも劣る行い、後悔なさい!!」
「ほう、死体とは言え、自らの兄にたてつくと言うのだな。お前たちに、同族を切る勇気が…あるのか?」
「…切るさ…」
 レオンがうなるような声で答えた。


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