〜 魔を討つ者たち 〜


 やがてそれは、腹に響く静音を持って、ハーゴンの神殿を突き破り、登場した。

 竜のうろこに覆われた六本の手足には鋭い爪。尻尾には小さな悪魔のような顔が付いてる。 家が一飲みされてしまいそうなほど大きな口には、血にぬれた牙が光る。 一対の悪魔の羽の持ち主は、あまりにも静かで無感情な目を尖らせていた。
「…これが、破壊神…シドー…。」
 アーサーが乾いた口でそうつぶやく。
 その存在感だけで、人が死んでしまいそうな威圧感。これに比べれば人間など塵芥に等しい。
 体が震える。心が凍る。その目がこちらを見ると、それだけで心臓が止まりそうだった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
 アイリンがまるで呪文のようにごめんなさいを繰り返す。それは最初に見た子犬のよりも哀れな姿だった。
「…大丈夫だ。」
 アクスがそんなアイリンを抱きしめる。アーサーは驚いて、アクスを見た。
(怖くないのか?そんな嘘だ…。)
 だが、そうして力強く抱きしめているアクスの顔色も青く、心なしか足が震えているように見えた。

「私が…呼び出した…、ハーゴンから、逃げたから…。」
「大丈夫だ、アイリン。アイリンのせいじゃない。俺が、望んだ。いいんだ、早く倒して、俺達の世界に帰ろう。 こんな奴、なんともない…。」
 力強い言葉だが、どこか声音に力がない。
 だが、アーサーはそれを見て力が抜けた。そうだ、男と言うのはこういう生き物だ。
 愛する姫君の前で騎士となり、自らより強い敵を見据えて勝ち抜いていく…そういう力を持っているのだ。
 そして、今自分もそれをしなければならない時だと思った。ここにはいないが、下界で誰よりも自分の事を 祈る姫の為に…負けるわけにはいかないのだから。
「ごめんなさい…だって、破壊神に…神に、勝てるわけ…。」
「勝てるわ、アイリン。だって先祖アルフは、元とはいえ神族だった竜王を現に倒しているじゃないの。 その生き証人に会っているのよ。」
 アーサーのその言葉に、励まされたアクスが、アイリンを抱きしめながら耳元でささやく。
「…アイリン。俺は今まで、世界の全てがどうでも良かった。国も両親も周りの人間も…自分すらも。 生きていても死んでいてもどうでもいいと思っていた。なにもかもが面倒くさかった。」
 ゆっくりと破壊神がこちらを見る。体が消えてしまいたくなる。それでも唯一つの宝を抱きしめた。
「…でもアイリンに出会ってから違う。アイリンが大切だ。アイリンに幸せになって欲しいと思った。…そうしたら、 どうでもいいものなんてなくなった。アイリン、アイリンの大切な人、アイリンの大切な人の大事な人。それを取り巻く 世界、平和に生きる町並。そうやって世界の全てがつながっているんだって思った。」
「…アクス…。」
「そう思わせてくれたアイリンが俺を信じてくれたら、俺はなんにだって勝てる。アイリンにはそんな凄い 力がある。俺を信じてくれ、アイリン。」
 アクスはそう言って、アイリンから体を離して稲妻の剣を抜き放つ。アーサーは光の剣を持ち、アクスの横へ並んだ。

「かっこいいわよ、アクス。」
「感謝する、アーサー。お前がいてくれて良かった。今も、この旅の間も、ずっとな。」
「…こっちもだ、アクス。俺もお前に救われた瞬間がたくさんあった。今も、旅の間もな。最後に一緒に戦おうぜ。」
 アーサー本来の低い声。本来の口調。それでもその笑顔は、いつもと同じアクスの仲間のアーサーだった。
「…私も…。」
 怯えながら、震えながら。アイリンが雷の杖を握っていた。
「信じる…ことは、きっと一緒に戦うこと…です。貴方を、信じます、アクス。」
「じゃあ三人で、行くぞ!」
 こちらを知覚したシドーが、こちらに手を振り降ろした。


 一歩前に出ていたアクスが、まともにその腕に吹き飛ばされた。
「アクス…!ベホマ!!」
「スクルト!」
 アイリンとアーサーの呪文が、アクスを包む。
「くそ…ぉ!」
 アクスは飛び上がり、シドーの尻尾を切りつけた。だが竜のうろこは稲妻の剣をはじき、傷一つついていなかった。襲いかかる 尻尾の顔を剣で払いのける。
「イオナズン!」
 遠くからのアイリンの呪文がシドーの目に爆発をもたらす。だが、水滴ほどにも感じていないのだろう、シドーはその爆炎を 払いのけもせず、アイリンに口を開いて襲いかかる。
「させないわよ!ルカナン!」
 そこにアーサーが光の剣を突き出した。口の中ならもろいとも考えたが、その口の中にさえ、赤く脈打つ竜のうろこがぴっしりと 生え、アーサーの剣を拒む。噛み砕こうとする歯の隙間をアクスはなんとかすりぬけながら剣を出した。
「これなら!」
 アクスは稲妻の剣を振りかざし、目に稲妻を当て、飛び上がる。そのまま鼻面をけりあげ、目に突き刺さんと剣を構えた。
 だが。
 きん、と硬い音がして、剣が弾かれる。まるで水晶玉のように硬かった。
「な…?」
「イオナズン!」
 アクスの横でアイリンの呪文がはじける。その勢いでアクスが飛ばされた。その上をシドーの爪がかすった。

「アクス!」
 アイリンとアーサーが駆け寄ってくる。アクスはシドーをにらんだ。
「…硬いな…目まで駄目だとは思わなかった。」
「そうね、驚いたわ。口の中までうろこでびっしりだもの。」
「…ごめんなさい、せめて、あの竜のうろこさえなんとかなれば…。」
 アイリンが小さくつぶやく。アクスはアイリンを慰めようとして…目を丸くした。
「…そう、か。答えはとっくに出てたんだな。ありがとう、アーサー、アイリン。」
 アクスは笑って立ち上がり、稲妻の剣を納めた。


『だって先祖アルフは、元とはいえ神族だった竜王を現に倒しているじゃないの。』
『…ごめんなさい、せめて、あの竜のうろこさえなんとかなれば…。』
「そうだな。その通りだ。答えは最初から用意されていた。」
 アクスはロトの剣を抜き放つ。
「我が血に眠る、勇者アルフ。その天才的だったという竜呪師の力を、今、俺に貸してくれ。この 神がわずかなりとて竜に関係すると言うのなら、その力でこの破壊神を呪え!」
 アクスはそう言うと、そのまま襲いかかろうとするシドーの腹下へともぐりこみ、剣を振るった。
「?!」
 音が違った。がりがりと音を立てて、うろこが傷ついていく。だが。
(…足りない。)
 傷ついたのはあくまで表面だった。これでは致命傷を与える前に、こちらがやられてしまうだろう。
(…くそ、何が足りない…、何が…?)
「ベギラマ!」
 アクスに襲いかかるシドーの横っ面をはたくように、アーサーが効かないとわかっている呪文を投げる。
「ルカナン!」
 アイリンの呪文が、わずかにシドーのうろこの輝きを下げる。
 アクスは笑う。分かっている答えを探った自分が滑稽だった。
「アーサー!アイリン!」
 二人の名を叫ぶと、攻撃を避けながら、なんとかこちらにかけてきた。アクスも攻撃をそらすために稲妻の剣を 振り続ける。
「…アクス、大丈夫?」
「ああ、二人とも…三人で一緒にやるんだ。一緒に剣を握ってくれ。」
「…三人で?」
 戸惑うアーサーの反対側で、アイリンが迷いなくロトの剣をつかんだ。
「アーサー…。貴方もよ。」
 アーサーが一瞬迷って、反対側からロトの剣を持った。
「こっちにひきつけてくれ。もぐりこむ!」
「分かったわ!ベギラマ!!」
 アーサーの呪文が、シドーの顔に当たる。シドーにとっては水をぶつけられたようなものだろうか。だが、うっとうしいことには 変わりないらしい。じろりとこちらをにらみ、口を開いて襲いかかる。
「イオナズン!」
 その口に、再びアイリンの呪文が爆発し、シドーは目的を見失った。
 そして、次の瞬間、全身に不快な痺れが走り、激痛が体を支配するのを感じた。


 三人が手に持ったロトの剣がシドーの腹に刺さったとたん、シドーの体がうごめき、竜のうろこが吹雪のように落ち始めた。
「今だ!!」
 その剣を突き差したまま手放し、アクスは稲妻の剣に持ち変え、シドーの体を切り裂き始める。アーサーも今が好機とばかりに 光の剣に持ち替えた。
 怒り狂うシドーに、もはや今までの神の威厳は感じられなかった。アクスは尻尾を切り落とし、アーサーは足を剣で貫く。
「帰りなさいシドー!!お前の場所へ!」
 アーサーの声に、シドーは大口を開けて迫る。その口からもぼろぼろとうろこがはがれていく。その口の中めがけて、 アイリンは雷の杖を振るう。シドーは大きく吼えた。
「ごめんなさい!貴方にここは破壊させない!」
 アクスがシドーの顔面へと飛び上がった。そして稲妻の剣を脇に構えて鼻面を蹴る。
「戻れ、シドー!元の場所へ!」
 そういうと、シドーの目に稲妻の剣を突き差した。

 天を突くような悲鳴。シドーは体中でもだえながら、長く長く叫び…、ゆっくりと消えていった。


 三人はその場に声もなくへたり込んだ。
「…ロトの剣…なくなっちゃったわね…。」
 アーサーがシドーが着き破った天井から見える空を見上げながら言う。アクスもアイリンもシドーが消えた先をじっと見た。
「まぁもともと、竜王の城にあったものだ。必要ないだろう、もう。」
「そうですね…全て終わったから…。」
 アイリンが立ち上がる。目だった外傷はなかったが、アクスは心配でアイリンを見上げる。
「…大丈夫か?アイリン?」
「大丈夫、怪我はないもの。…あのね、アクス…。私、アーサーと約束していたの。全てが終わったら…。」
 ちろりとアーサーを見る。アーサーはなんのことか分かったのだろう。嬉しそうな顔をしている。
「なんだ?」
 その二人を不思議そうに見ているアクスがおかしくて、アイリンは微笑む。
「貴方に愛しているを伝えるって!」
 アイリンはそう言うと、アクスの胸の中に飛び込んだ。


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