それはまるで湖に浮かぶ、一輪の花のように
第三話 亡失


「王!こんな時に、このようなところへ何の御用です!」
 どんな時にでも、王と会うときは気が引き締まる。
 ブライにとって、王は主君であり、友人であり、恩人だった。
 冷たい視線にさらされ生きていた自分を、温かい目で見つめてくれたたった一人の人だった。
「今、貴方は式の最後の誓いを、自らの部屋で祈りながら明日に備えるときでしょう!ましていまや 明日の式の為に人々が奔走しております。王も自らのお役目をお果たしください!」
「まあ、そう硬い事言うな。ほら、飲むぞ。」
 ごろごろと、王が袋を開けると、大量の酒瓶が出てきた。
 一瞬絶句して、それから頭を抱えた。
「王…明日二日酔いで倒れても知りませんよ…だいたい酒臭い花婿なんて、ユーナ様も悲しまれます。」
「どーせ、衣装を着る前に、清めの風呂に入らされるのだ。なんとかなるだろうよ。それより、 おそらくこれからは、今までのようにお前の部屋に来る事はあるまい。」
 それはそうである。これからはユーナと同室になるのだ。当然、夫婦の勤めというものはある。 よしんば(というかおそらく)ユーナが部屋を抜け出すのを止めなくても、王と王妃、二人の部屋は 今まで以上に警備がつけられるだろう。そうなると、抜け出すのも確かに容易ではないはずである。
「そのまえに…お前とゆっくり飲んでおきたかった。この嵐はちょうど良かったな。混乱して 結婚前夜だというのに、今まで以上に抜け出しやすかった。」
「そういう問題ではありません!」
「いいから飲むぞ。最後の機会なのだからな。」
 ブライは頭を抱える。だが、今の気分では眠れそうもない。酒をあおると言うのはむしろ良い考えのように 思えた。
「王、こちらへどうぞ。」
 そう、椅子を勧め、自分はコップを取り出してくる。
 そうして、国王と教育係の嵐の夜の酒盛りが始まる。


「今ごろ、ユーナは悔しがっているだろうなあ!」
 いい具合に、王は出来上がっている。
「今ごろユーナ様は、清めの儀式でしょうから…」
 冷静な事を言いながらも、ブライの頭にも、靄がかかる。
 嵐はまだ続き、雷が鳴り響いていた。
 そんななか、すでに大量の酒瓶の半分を開けていた。
「いい飲みっぷりだな、ブライ。こんなことならもっと早くやっておったらよかった。」
「いつもいつもこんなことされては困ります。明日は公務がないから特別です。」
 とぽとぽとぽ、とブライは自分のコップに酒を注ぐ。
「はっはっは。お前は相変わらずだな。」
「お酒を飲みすぎて、明日の手順を忘れないようにだけはお気をつけてくださいね。ハレの日なのですから。」
「そういえば、お前はどうなのだ。」
 王に手酌させている事も既に気がつかなかったほど飲んでいたブライだが、王のその言葉に、飲む手が止まる。
「だいたいだなー、私より年上なんだからお前の方が先に結婚してもおかしくないはずだぞ。だれか これぞと想う人はいないのか?」
 これぞと、想う人。
「人を愛する事はいいことだ。愛し合う事は素晴らしい事だ。 誰かを幸せにしたい、そう思うことは人にこんなにも幸せと、力をくれるのだな。 ユーナを愛して、私は初めて強くなろうと思った。全てを守れるほどに。」
 それは、貴方の想い人です、王。
 そう言って黙るブライに気が付かず、酒の勢いで王は次々と言葉を並べる。
「学問に生きるのは悪くない。が、側で支えてくれる者がいないというのは寂しいぞ。お前も、人を愛するべきだ。」
 もう、愛しております、王。
 私は、ユーナ様が好きなのです。
 そう言って、ただ、酒を流し込んだ。酔いはとうに覚めていたが、それでも飲まずにはいられなかった。
 からん、と氷が軽い音を立てる。切ない気持ちが胸に詰る。
 この、瞬間まで。
「ブライ。私はブライを兄のように想っている。だから…お前には幸せになって欲しいのだ。」

「アーサー様・・・」
 湖の花が、咲き誇ったようだった。
「懐かしいな、その呼び方は。」
 その光景は、目の前の人間が王ではなかった頃。二人は共に勉強をし、野山を駆けた頃、確かに どこかで見た光景だった。
 王は一気に酒をあおる。
「いまや、自分の名前を読んでくれるのは、ユーナだけだ。…寂しいものだな。」
 心の湖から、水が目に漏れそうだった。
 この人に、幸せになって欲しい。
 この人にも、幸せになって欲しい。
 幸せそうに笑う二人。美しく笑うユーナ。
 ああ、自分は。
 二人が幸せに笑っているのをみるのが、好きだったのだ。


「王。私には、もう、想う方がおります。」
「なんだと!誰だ?!」
 ブライは笑う。ここ何年も見せた事がない笑顔。
「アーサー様と、ユーナ様です。」
 ユーナを想う気持ちは、まだある。心に眠る混沌は、いまだ消えない。
 けれど。
「私は、お二人に何よりも幸せになって欲しいと願っております。…それが、私の幸せなのです。」
 その心は真実だから。
 心の祝い酒を、いい気分で飲み干した。
「だが、それでは年を取ったあとも、一人ではないか。」
 ブライは笑っていた。
「でしたら、お二人の子供を、我が孫と思って可愛がる事にしましょう。」
 その言葉に、王も笑う。
「だったらお前は私の父か?…それはどうにも落ち着かんなあ。」
「私には不相応ですが、それも良いではありませんか。」
 朝が、近づこうとしていた。
「…ご結婚、おめでとうございます。」
 初めてブライは、その言葉を口にした。
 気が付くと、雨はやんでいた。


 雲ひとつない青空が広がっていた。
 謁見の間で儀式を済ませ、教会で誓う。
 そして、山車に二人は乗り、領土全土にお披露目に行く。
 花嫁衣裳を着たユーナは、この上なく美しかった。
 横に立つ、王を見て、幸せそうに笑っていた。
 それが嬉しかった。
 手に入れられないから不幸なのではない。
 目の前にある幸福を喜べれば、どんな不幸に思えることでも幸福になる。
 そして、自分は確かに今、二人を見て幸福なのだから。
 二人の幸せを心から祈れる自分が、幸せなのだから。


 
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