「え…?」
 突然の申し出に、クリフトは困惑を隠せなかった。
「私は、サントハイム王の教育係…今は第一王女アリーナ姫の教育係も兼ねているが… 私ももうこんな年齢だからな、姫に学友を兼ねた教育係が欲しいと思っていたのだ。」
「で、ですが…」
「知ってのとおり、今のサントハイムは神学に力を入れている。姫様に関しての仕事が ないときには、思う存分神学に励んでくれてかまわない。神父の許可もとってある。… どうだ?」
「そ、そう言われても…」
 突然の誘いに、当然ならばクリフトは戸惑った。そして、その事をブライは知っていた。
 それでも、それでもブライはこの少年に城にきてもらう必要があると思っていた。
 クリフトはブライの眼を見据えた。
 まっすぐな目。辛い境遇にもかかわらず、にごっていない、歪んでいない目だった。

「どうして僕なのですか?姫様の学友というなら、もっと身分も相応しい方がいいと思います。 教育係というのならば、僕より年が上であったほうが良いと思います。」
 その言葉にブライは感心した。
 とても6歳の少年とは思えない頭の回転だった。しっかりとした言葉づかいにも感心した。
「いいや、私は君が良いと思っている。」
「それは何故ですか?」
 ブライも、少年をしっかり見据えた。出来る限りまっすぐな目で。
「君が、何も知らないからだ。」
 クリフトは、息を飲む。喉を深くつかれた気がした。
 いつも穴があいている事を、クリフトは気が付いていた。
 どれだけ勉強しても、どれだけ神へ祈っても、自分は何も知らない。
 人のぬくもりも、人へ愛しく思う心も…
 そしてそれを知らずして、神へ仕えることができない事もよく判っていた。
 愛を知らない人間は、愛を語れない。簡単な理論(ロジック)だった。
 だが、ブライが言う意味は、それとは違う事らしかった。
「神父から聞いた。君がずっと外に出てなかった事。外のことを何も知らないと。そういう人間が欲しかった。」
「それは、何故ですか?」
 ブライは、自分に言い聞かせるように言う。
「このたび、王妃様…つまり姫様にすれば母君となる方が亡くなられている。その事は知っているか?」
 クリフトはうなずく。
「ええ…その情報だけは。ですが、それ以外のことは、恥ずかしいですが何も知りません。王妃様がどんな 方であったかも、です。」
 クリフトが物心ついていたときには、すでに王妃は病気がちで、めったに人前に姿を現わさなかった。 だれも噂話なんて無駄話をしてくれなかったから、儀式として王妃への祈りをこの教会で民衆用に行った、その手伝いを したことでしか、クリフトは王妃という存在を感じ取ったことはなかった。
 恥ずかしい事だとクリフトは思ったが、ブライはホッとした。もし、王妃の姿を見たことがあったとしたら それはとても面倒な事になるからである。
「王妃様は素晴らしい方でな、とても皆に愛されていた。だからこそ、城の皆…いや王妃様に関わった事の あるもの全ての嘆きは濃い。」
 もしかしたら、それこそがあの素晴らしい方を与えられた者たちに対する神への対価なのだろうか。 罰なのだろうか。
 しかし…それでは余りにも罪なき幼子が気の毒だった。
「そして…王女様は、王妃様の生き写しなのだ…」
 クリフトの胸に、ずんと重いものがのしかかった。
 自らの心から出でた重さではない。
 向かいに立つ、壮年者の言葉の重みだった。
「人は、姫を見て王妃を思い起こす。辛い思いをしてそこから遠ざかろうとする…それは仕方のないことなのだ。」
「ですが…」
 少年が言おうとした言葉はブライにはよく判っていた。
 いや、この教会で、神と語った事で初めて分かった事でもあった。
「ああ、姫様にとっては…とても辛い事だ。…もっとも姫様は幸いまだ幼く、良くはわかっていないようだが… いずれにせよ、このままでは姫の心に影が落ちることは間違いない。」
 一人ぼっちの家。誰にも向けられる事がない視線。
「だが、教育係に相応しい年齢の者はおそらく全て、王妃様のことを良く知っておられる… それではいけないのだ。身分が高ければ高いほど、姫は王妃と比べられる。…それでは 姫の心は凍るばかりだ。」
 それは自分に向けられる言葉。判っている罪。
 おそらく自分は生涯罪を犯し続けるのだろう。
 面影を消さないで欲しい。…それは、あの人が残したものなのだから。
 面影を消して欲しい。…それは、あの人にのみ、許されるものなのだから。
 光と影。相対するもの。
 だが、それは二つとも、まばゆく輝く光から、作られるものなのだ。


 ブライの言葉には自然に熱が入っていく。
「無理だと思えば途中でやめてもかまわない。…だが、王妃を知らぬ人間の中で 君がもっとも賢く…相応しい人間だと、私は今の会話で確信した。どうか、引き受けてはもらえないだろうか?」
 ”アリーナを、頼みます。わたくしたちの可愛い子…”
 ”はい、かしこまりました。”
 約束事。託された事。今の自分にできる事、やらなければならないこと。
 本当は自分がしなくてはならない事。…できそうにないこと。
 ならば、適任を見つけること。…それが自分にできる、最善の事だと思うから。
 どんなに矛盾したこことを持っていても、どんなに泥のような心を持っていても。
 湖のような心に憧れる。
 だから、想いはたった一つ。
 ――――――――― 守りたい。今度こそ。


 ふわりと、風が吹いた。風の吹く方向は…東。
 気まぐれだろうか、運命だろうか。…それとも。高貴で明るく朗らかだとばかり思っていた城の お姫様に自分を見出したせいだろうか。
「私で、お力になれるのでしたら。」
 少年はそう微笑んでいた。


 
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