もしも一番嫌いな動作は何かと聞かれたら、玄関の扉を開けることだと即答できる。 ルウトは玄関の扉を握り、随分長い間固まっていたが、やがて意を決して扉を開けた。 そこには予想通り、黒い髪をしっかりと結わえ、灰色の地味なドレスにエプロンをつけた母がこちらを見ていた。 「ただいま、お袋。」 「ルウト、貴方国王様に怒鳴りつけたというのは本当なの?」 「ああ、本当だ。」 開口一番に言われた言葉に、ルウトは嘆息しながら答える。すると母親の目に涙が浮かんだ。 「ああ、なんてことなの……お父さんが怒っていた事は本当だったのね?旅立ち前に貴方が王様に言った怒声をとりなすのに、 お父さんがどれだけ苦労したと思っているの?……皆に笑われて、私のどんな恥ずかしい思いをしたのか……。 いいえ、そもそも私たちに無断で旅に出るなんて……」 母親は、ルウトにすがりつく。 「お母さんわかっているのよ。ルウトはいい子ですもの。あれはあの女のせいなのよね?でも大丈夫、もう縁は切れたでしょう? あとはお父さんにきちんと謝りなさい。貴方は賢者になったとも聞いているし、きっといいお嫁さんを 見つけてくれるわ。」 「お袋、やめてくれ!クレアは立派に魔王と戦った勇者なんだぞ?!」 「たとえ勇者といってもね、女が剣を持って戦うなんて、ろくなもんじゃありませんよ。野蛮だわ。それに所詮、 あのおかしな母親の娘でしょう?もう近づいてはいけませんよ。」 そういう母親を、力づくで引き離す。 「剣を持って戦えって言ったのは、アリアハン国民皆だろう?あの小さな肩に世界の全てを押し付けたのは、 お前達じゃないか!オレはそれが許せなかった、だからオレがやるって言っただけだ!」 「ねぇ、ルウト、いい子だから聞き分けて頂戴?そもそも戦士なんて、そんなフォースター家の人間が野蛮な職を 選んだのがそもそもの間違いだったのよ?ちゃんとお父さんとお母さんの言うとおり、僧侶になっていれば こんなことにはならなかったわ。」 「オレには適性がなかったんだ!どんな努力しても、ホイミの一つの唱えられなかったんだから仕方ねぇだろ?!」 「まぁルウト、そんなはずはないでしょう?お父さんとお母さんの子が、適性がないなんてそんなことあるわけないじゃありませんか。 ね、お父さんとお母さんの言うとおりにしていれば良いのよ。」 「……お袋、オレにはちゃんと頭がある。意思も考えもある。もう17なんだ。オレはオレのやりたいようにやる。」 「まぁまぁ、貴方はちっとも分かっていませんよ。社会の道理も掟もね。私たちに任せておけば大丈夫よ。 それが一番正しいのですからね。」 「オレはお袋の言うとおり生きるなんてまっぴらごめんだ!!」 ルウトが叫ぶと、母親は泣き出した。 「ああ、どうして言うとおりにしてくれないの、貴方のためを思って言っているのに。どうしてこんな風になってしまったの……。」 涙にくれる母親に、ルウトはうんざりする。いつものことなのだ。こちらがはいと言うまで、決して泣き止まない。 「……母さん、父さんがルウトをお呼びです。お借りしますよ。」 ぐいっとその腕をつかまれる。そこには兄が冷たい目でこちらを見ていた。 「兄貴の登場かよ。」 「父さんがお呼びだ。来い。」 父の書斎の扉を、兄は二度叩いた。 「ルウトを連れてまいりました。」 「そうか、入れ。」 兄は扉を開け、ルウトを押し出す。ルウトは抵抗もせず、中へと入った。 父は椅子に腰掛け、じろりとこちらを見ていた。後ろでは兄が入り、扉を閉める。 「……」 「……何か言う事はないのか。」 「特にはない。そっちこそ用があったんじゃないのか。」 威圧的に言う父の言葉に、ルウトは憎しみすら込めて言葉を返す。 「王へのあの言葉に申し開きはないのか。」 「オレは間違った事は言っていない。苦労して世界を救った勇者に、新たな困難の責任を押し付けるのが善良な 国民のすることなのか、精霊ルビスにでも問いかけてみたらどうだ。」 吐き捨てるように言うルウトの言葉に、父は舌打ちをする。これが国民には評判の神父なのだから世も末だ。 「反省はないようだな。……まぁいい。国王様もお前の功績に免じてだろう、許してくださった上、お褒めの 言葉も下さったのだから。お前が賢者になったというのは本当か。伝説の悟りの書か?」 「ああ。」 「悟りの書はどのようにして手に入れたのだ。今はあるのか。詳細に語れ。」 偉そうにふんぞり返る父親の言葉に、反吐が出る。馬鹿を見下すようにして言い放った。 「ねぇよ。悟りの書は儀式が済めば返還する掟だ。それにその詳細を語ることも禁じられてる。仮に知ったとしても 兄貴が賢者になるのは不可能だからな。」 「な、何故だ!!お前が出来て、この私ができないというのか?!」 声をあげる兄に、ルウトは嘲笑すら浮かべる。 「自分の足で困難に挑んでこそ意味がある。ズルなんてするやつが悟れるかよ。まだモンスターはいるらしいが、 チャレンジしてみるか?誰も止めねーぞ?」 兄は悔しそうに歯を鳴らす。父も眉にしわを寄せた。同じ魂胆だったのだろう。 「まぁいい、お前が確かに賢者になったというのなら、それはそれで喜ばしいことだ。これからの有り様に よっては、お前に跡をついでもらうかも知れんしな。」 「父さん!それはあまりにも……!!たとえ魔術的に優れていても、その人格はとても父の跡を継げるようなものではないでしょう!!」 「だが、勇者の片腕だった名誉もあろう。」 「しかし、素行があまりにも悪すぎます!!」 自分を置いておいて言い争う父と兄に、ルウトはいらだったが、一刻も早くこの場から離れたかった。 「……兄貴、席をはずせ。」 「何だと?」 「国王様のご命令でな、あの場にいないものには決して知らせてはならない話があるんだ。」 兄は悔しそうな顔をするが、父は何のことか分かったのだろう。 「そうか、ジェスト、席をはずせ。」 その言葉に、納得のいかない顔つきで部屋を出て行く。 「ゾーマの話しか。」 「親父、オレはこの家を出る。理由はわかっているな。」 「許さん。あれは勇者が倒すべきだ。お前にはこのフォースター家の次男として、やらねばならんことが山のように あるのだ。」 威厳を持って言っているつもりだろうが、ルウトは鼻で笑う。 「許可をとってんじゃねぇよ、宣言だ。一応育ててもらったし、高等教育を受けさせてもらった恩もあるしな。 その礼儀としてこうして挨拶に来ただけだ。」 「なんだと?!!そのような口の利き方、慎め!!」 「だいたい許さんというがな、ならどうしようって言うんだ?」 ルウトは胸を張る。今となっては力も魔力も、ルウトの方が圧倒的に強い。監禁してもすぐさま魔法を放つだけだろう。 家を出るものに、勘当など言い渡しても意味がない。 どうすることも出来ないことを悟った父は悔しそうに歯軋りする。 「ま、ゾーマを倒しに行くかはわからねぇがな。オレがアリアハンからいなくなった暁には、この国の為に身を犠牲にしたとか 好きなように美談にしてくれ。じゃな、オレの用はそれだけだ。」 ルウトはそう言って部屋を出た。 「待て、許さん、許さんぞ!!!」 そう怒鳴る父親の声を無視する。もうこの家に用などなかった。足早に歩いていくと、兄がこちらをにらんでいた。 「ルウト……。」 「頑張れよ、兄貴。この家の跡取りはお前なんだからな。」 軽くそう言うと、ルウトは家を出て行った。 不愉快な家を出たは良いものの、ルウトの表情は芳しくなかった。 (クレアは……泣いているだろうか。どうするつもりなんだろうな。) ルウトが迫った決断は、クレアにとっては「母親と自分とどっちを取るか」と聞こえただろう。 クレアにとって、それはどちらも大事な人物のはずだ。だからこそ、身を裂くほど辛いだろう。 (……本当に、そうならまだ救われるんだが。) 本当は怖かった。クレアは、自分を恨んでいるのではないだろうかと。 初めてクレアの母に会い、息子だと誤認されて……勇者の修行を、その重荷を一緒に背負おうと言った。 けれどそれは、クレアから母の『勇者』という存在意義さえも奪ったということなのではないだろうか? 本当は、ずっと自分のことを憎んでいるのではないか? クレアは優しいから、強引に押した自分を断れないだけではないか。……そんな風に考えると怖くなる。 だからこそ、せめてクレアの体を守りたかった。……けれど。 悟りの書は、賢者は、自分に魔力を与えた代わりに鍛えた攻撃力を奪っていった。 クレアは剣を握りたがらないから気づいていないようだが、攻撃力などとっくに超えられている。 ならば、豊富な呪文で守ろうにも、元々適性のない自分には魔力がなかった。クレアにも、レベルが下のエリンにも 魔力量ではかなわず、すぐに切れてしまう。 何も出来ない。……だからこそ、バラモスが誤解して自分を攻撃してくれたのは嬉しかった。 自分でも、クレアを守れたのだ。やったことは無駄ではなかったのだ、と。 そうしてたどり着いたのは、かつて倒れたクレアを運んだ人気のない野原。 その草むらに、クレアは泣きながらうずくまっていた。 |
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