〜 59.バラモスゾンビ 〜



 目が覚めたことに気がつかなかった。その声があるまで。
「目覚めたか。」
 まっくらな眼前にぼんやりしていたクレアは、その声に横を向く。
 照らされた青くぬらぬらした肌に、まるで刃物のような目にクレアは思わず体を起こして身を引いた。
「わしにおびえているか、勇者よ。」
 クレアは体を振るわせる。光の鎧も、勇者の盾も、父の兜もクレアを守ってはくれない。震えた体はこれ以上動かすことすら できず、クレアはただ凍りつくようにゾーマを見た。
 周りを見回しても、ルウトがいない。エリンもカザヤもいない。記憶の奥に、突然何かにひきずられたことを思い出す。
「……なんの、つもり……なの?」
 自分一人だけ殺すつもりなのか。ならどうして今生きているのか。わからない。ここがどこなのか、 ルウトたちはどうしているのか。何もかもわからない。怖い怖い怖い。
「そなたに興味があってな。」
「わ、たし、に……?」
 ゾーマはまるで全てを犯さんばかりにクレアを見続ける。
「ふむ、こうしてみるとただの娘だが……だが、そなたはわしの力を見抜いた。ただの娘ではない。」
 クレアにはまったく心当たりはない。ただ声も出ず首を振る。
「アリアハン王を射抜こうとしたわしの力を察知して、そなたは王をかばった。それは何故だ?」
 するどく見る視線に、クレアは首を振る。そしてなんとか声を絞り出す。
「……ただの、偶然です……なんとなく、そんな、気がしただけの、私は、ただの娘です……。」
 そう答えたクレアに、ゾーマの手がそっと伸ばされた。


「わしはあの弟とは違うぞ!!」
 まるで流れるように炎やイオナズンを放ってくる。なんとかフバーハでしのぎつつ、エリンはカザヤにバイキルトをかける。
「だから、どうした!!」
 その魔力を受けて、カザヤは飛び上がり、バラモスブロスの鼻先をえぐる。
「ぐぅ、わしはゾーマ様を守れと命ぜられた。たとえ雑魚ともここを通すわけにはいかぬ!」
「……それは、こちらも同じことよ。」
 当てにしている。それはルウトがこちらに託した最大限の心。背中を任せるとそう言われたのだから。
 それを裏切るわけにはいかないのだ。おそらくゾーマに囚われて心細くなっているクレアのためにも。必ず そこにたどり着かなければならないのだ。
 本来ならば攻撃を食らわしてやりたいところだが、冷静にマホカンタをかける。だが、その瞬間、ブロスの腕に吹っ飛ばされる。
 肋骨がぎしぎしとうなっていた。体中のあちこちから血がにじむ。だが、まだ立てる。
 負けはしないとブロスをにらみつけ、よろりと立ち上がる。
 それを待っていたかのように、再び伸びた爪が、腕がエリンを引き裂かんと振り下ろされる。
「エリンねーちゃん!!」
 傷だらけだった。あちこちがこげていた。足はほとんど赤しか見えないほどの出血。それでも必死にその腕を下から受け止め、 軌道をそらす。爪の破片がカザヤの胸を切り裂いた。
 次の瞬間、呪文が二人を襲った。目の前が黄金に染まるほどのその圧倒的な呪文が、二人のすべてを埋め尽くした。


 腹に入ったその一撃だけで、内臓がねじれそうだった。けれど、ルウトは倒れない。それどころではない。倒れてる 暇などないのだ。
「……もう、殴り合いなんて、柄じゃねぇのにな……。」
 ルウトは何もしていない。ただひたすら、バイキルトを唱え、バラモスにきりつける。バラモスは 何の考えもなく、ただこちらを見つめ腕を振り下ろす。それは単純な戦い。あまりに 単純すぎて、……静謐だった。
 単純な攻撃をひたすらやりあっているのは、バラモスにはなんの頭脳もないからだった。ただひたすら 憎悪に突き動かされるだけの動物。ただしゾーマのせいだろうか、その耐久力、そして攻撃力は むしろあがっているように思える。
 だが、的確に急所をつけない代物に、力だけ与えてもなんの意味もない。……ただの時間稼ぎなのだろう。
 だが、今はその時間がなにより惜しかった。
「そこを、どけーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
 剣を振り上げる。バラモスはこちらをにらむ。けれどルウトはそんなもの見ていない。
「クレアが、待ってるんだ!!!」
 そう振り下ろした剣先は、バラモスの腕の骨を砕く。しかしもう片方の腕が、ルウトの頭に振り下ろされた。


 ぐいっと顔を持ち上げられる。
「たしかに、ただの小娘にしか見えぬ。だが、そなたはルビスに祝福された娘だろう。」
「……そんなもの、知りません。」
 震えながらも、クレアは言う。
「ルビスの祝福とはいかなるものだ?」
「……知りません。私を祝福してくれたのは、ルウトやエリンやカザヤです。ルビス様は…… ただ、私に言葉をかけてくださっただけ………皆は、どこですか?」
「ではそなたはなぜ、このわしを倒せるなどと哀れな期待を背負わされたのだ?……こうして見ても、本当にただの、 震えている小娘ではないか。」
 ゾーマはクレアの言葉など、ほとんど耳を貸していないようだった。それでもクレアは、震える体で 声を絞り出した。
「皆は、ルウトは、エリンは、カザヤはどこにいるんですか?!」
「そのようなもの、とうに殺してしもうたわ。」
 まったくなんの感情もこめられていない言葉。その言葉に、クレアの血が凍りついた。
 その恐怖を楽しむように、ゾーマはクレアの首を撫で回す。
「う、うそです、そんな……。」
「嘘などついて、なんになる?残念だな。躯はもう部下に食わせてしまった。失敗した、このようなことなら、 そなたの横に並べて置けばよかったな。」
「嘘です嘘です嘘です嘘です!!」
「さてな、そのように叫んでも現実はなにも変わらぬ。小娘と小僧は焦げ、男は頭を叩き割られたらしいがな。」
 その言葉に、クレアの目からただ涙が流れる。そして息が荒くなる。あえぐような呼吸をしても、 肺に届かない。クレアはただ、助けもなく、もがき続ける。
 その涙を楽しむように、そしてそのもがきを許さぬようにゾーマはクレアの首を撫でる。その おぞましい感触も、クレアにはなんの感慨も与えない。
 心の傷が、体全てを裂いてしまいそうだ。
 苦しい、苦しい。けれど、誰も助けてくれない。ルウトはもういないのだ。
 そのまま、首を突いてしまおうか。あの日、ルウトと果たした約束の通りに。
”ルウトが死んだとき、私も喉を突きます。”
 その覚悟は本当だ。ルウトがいない人生など、世界などなんの意味もない。
 ただ息さえもまともにできず、あえぎ苦しむクレアを、ゾーマはなめるように見る。目の前で 味わう勇者の絶望と嘆きは、この上なく美味だった。
「そなたはルビスに愛された娘。……ゆえにか、なんという甘美な絶望を、わしに与えるのか。おもしろいおもしろいぞ 娘よ。」
 恐怖に支配されたその瞳を、食らいつくが如くに見つめ、そしてゾーマはにやりと笑った。
「気に入った。このまま飼ってくれようか。ルビスが蹂躙され、世界が滅びる様を、そなたの恐怖で彩るか。 うむ、そうじゃな、手も足ももいでくれよう。身動きすら取れぬ体で、その世界の絶望を眺めるか。」
 その言葉に、クレアはびくっと体を揺らす。それでも絶望に凍りついた体は動かない。
 なぜならここにルウトはいない。その世界でただ絶望に生きろと言うのか。
 涙を流しながら何も言えないクレアに、ゾーマは名案を思いつき、笑った。
「……いや、それとも、その胎にわしの子を仕込んでくれようか。そなたの胎で我が化け物が成長していく様を、 何も出来ずに絶望するか。……それが良い、どのような子が生まれるか、楽しみじゃな。」
 背筋を砕くような悪寒と、そして絶望よりもなお深い闇に、心が追われていった。

 まるでワイングラスを持ち上げるように、クレアはゾーマに首をつられながら持ち上げられた。
「ルビスに祝福されし勇者よ。その身に邪悪と絶望を宿すが良い。そのおぞましいものがこの世に誕生したとき、 この魔王の世界が完成するのだ。」
 その声に、クレアは何も言わなかった。
 どうなるか、わからない。どうなってもかまわない。けれど、これ以上生きていたくなかった。ルウトの いない世界に。
 クレアは王者の剣を手を伸ばす。おそらく今が最後のチャンスだ。
 自分は、ルウトだけのものだ。だから、ルウトがいないなら、約束どおりに。約束、どおりに。
 剣を、握る。
「……約、束、した、んです、ルウトと。」
「……死者との約束など、なんの意味もない。」
 ぽそりと話した言葉は、それまでのクレアの言葉とは、何かが違っていた。
 苦しげに吐かれていた息が収まった。
 剣を手にする。……剣を手にしたものは。剣を持つことが許されるのは。
 その剣と、そしてその名が、最愛の人の名が、クレアの呼吸を整える。恐怖を消し去った。
「ずっと一緒だって!!私、あの人を信じてる!!!愛してる!!」
”分かった。約束する。オレはクレアを残して死んだりしない。ずっと一緒だ。”
 ルウトのその言葉を胸に、クレアは勇者の目でゾーマを射抜いた。
「ギガデイン!!!!」
 クレアのその叫びと共に、全てを焼き尽くさんばかりの雷が、ゾーマに降り注ぎ、その 一瞬の隙を見て、クレアはその手から抜け出し、地面に降り立ち剣を抜いた。


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