思えば、物心ついてから、ずっといらいらしていた気がする。
 それでも、剣を握っている間は、落ち着いた。体を動かすのが性に合っているのだろう。
 結局、ほとんど教師と父親をだます形で、ルウトは戦士への道を歩み始めていた。ほどんどの 選択科目を、そちらの方向へ取ることができたのだ。
 城から来る教師に、こってりと絞られる日々だが、それは嫌々ながら僧侶の勉強をするよりもずっと ずっと充実していた。
 気がつくと、ルウトは剣術では学校の中でもトップクラス、そして学問の方でも優秀な成績を収める 学校一の人気者となっていた。特に剣の練習などをしていると、女たちの視線が熱い。
 だが、手当たり次第に誰かと付き合うことは、もうやめていた。そんなことよりも、剣の稽古をしていたかった。
 特に母親は『野蛮』だと半狂乱に叫ぶけれど、誰かに認められる必要などない。 自分さえ良ければいいのだから。そしていつか卒業したら城に仕える形で家を出たい。それがルウトの夢だった。

「あー、疲れたー。」
 散々しごかれた後。体中から噴出す汗が気持ち悪くて、ルウトは井戸を求めて学庭の裏へと足を運ぶ。
 汗だらけになったシャツを脱ぎ、井戸から水を取り出すと一気にかぶる。火照った体を水が心地よく冷やしていった。
「これ、タオルです。よろしければどうぞ。」
 そんな声がして、ルウトは顔を上げた。そこにはタオルを差し出す元クラスメイトの姿があった。
「お前……。」
「以前一緒に勉強をさせていただいたクレアです、ルウトさん。こちらの井戸に用があったのですけれど、貴方がいらしているのを 見て、用意したんです。ご迷惑でした?」
 受け取る様子のないタオルに不安に思ったのだろう。そう聞いてくる少女に、ルウトは首を振った。
「迷惑じゃねーけど、これいるんじゃないのか?」
「お花に水をやるときに、ぬれることがあるので一応持っているのです。ハンカチもありますし 大丈夫ですから、ご迷惑じゃなければお使いください。」
 そういうと、12歳らしからぬ笑顔でにっこりと微笑んだ。
 クレア・トーヴィー。自分とつるんでいる友達の中でも、いや全校生徒の中でも一番の人気を誇る『 高嶺の花』勇者オルデガの娘にして、その娘も成績優秀、かつ容姿うるわしく、なによりも温厚で誰にでも 優しいその性格は、男女問わず好かれていた。
 ……だが、自分は初めて会ったときから、クレアがなぜか苦手だった。
 今ならわかる。その『完璧な貴婦人』然とした上品さが、自分の母親を思い出すからだ。
 あの誰にでも振りまく笑顔。誰にでもこうして施す優しさ。それに対して虫唾が走るのだ。
 お前だって、どうせ、と。
「お前、もうクラスも違うのに、なんでオレにこんなことするんだよ。」
 一応おざなりにタオルで水をぬぐって、押し付けるように返す。その声音に険が含んでいたことに少女は 気がつかなかったのか、にっこり笑ってタオルを受け取った。
「私も先ほど訓練を拝見させていただきましたけれど、とても優秀なのですね、ルウトさんは。」
「ああ、ありがとうさん。」
 もう話はない。この女の前から離れたかった。だが、クレアの次の一言で、足を止めた。
「一番剣の軌道がまっすぐで綺麗でしたよ。強い心を持っていらっしゃるんですね。」
 そう言って、クレアはにっこりと笑った。

「……なんだって?」
 突然真顔になったルウトに、クレアは少しおびえたのだろう、頭を下げた。
「も、申し訳ありません。剣も握ったことがないものが、わかった様なことを言ってしまいまして……。」
「別に怒ってねぇ!」
「はい、申し訳ありません!!」
「……もう一回、言ってくれるか。」
 怯えているのを見て取って、ルウトは極力落ち着いたそぶりで言う。 それを見取ってか、クレアはまっすぐとルウトを見て、淡く微笑んだ。
「はい、父が言っておりました。剣と言うのは本当に強い、危険なものだと。だからこそ その持ち主は、それより更に強い心を持たなければならない。剣より強い心を持った人間だけが、剣を扱うことを許されるのだと。 ルウトさんはとても、力強く剣を振るっておられるように見受けられましたから……。」
 強い、心を。

 弱いと言われていた。野蛮だと言われていた。不出来だと。幼いと、だめな人間だと。
 優秀だと言われて満足だった。才能があると言われて喜んだ。
 でも、その心を褒めてくれたのは、生まれて初めてだった。
「すげぇな……さすがオルデガさんだ。」
「はい、父は私の誇りです。」
 にっこりと本当に嬉しそうに言うその言葉を、ルウトはうらやましく思った。


 それから、二人は時々話すようになった。何かの折に、ルウトから声をかける。すれ違ったら挨拶を交わす。 パーティーでは誘って踊ったりもする。
 話すのは、主にオルデガのことだった。
 ルウトも一度だけ見たことがあるのだ。オルデガが旅立つそのとき。まだ幼かったのでおぼろげではあるが、 その大きな背中はとてもたくましかった。
 もっとも、幼かったのはクレアも同じで、おぼろげな記憶を、たどるように、嬉しそうに語ってくれた。
 そうして、クレア自身のことも聞いた。最初の完璧な貴婦人、という印象は、穏やかで上品柔らか。だが、 どこかずれている天然な性格なのだと理解していた。
 それは、母とはまったく違う。もっと暖かで、安らかで。
「一度だけ、父の剣を持ったことがあったんです。父が本当に綺麗に軽やかに動かしているので、私も憧れてしまって。 けれどそれを見て、父は私に語ってくれたんです。父は、私に怒ったりする人じゃなかったのですけれど、とても 真剣な目で私を見て……だから、私は剣を持つこと自体が怖いことなのだなって思います。ですから、 それをしっかり持っていらっしゃるルウトさんは本当にすごいと思います。」
 にこにこと笑って言うクレアが語るオルデガの話は、ルウトの励みになっていた。
 やがて、ルウトは、オルデガのようになりたいと、そう願うようになっていた。


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