「うわ、ちょっとエリン、ちょっと何か拭くもの、拭くもの。」
「あ、ごめんなさい。」
 我に返ったエリンが、さっとこぼれた紅茶を拭く。その単純作業で落ち着いた。
「……考えてみたらあるわけないじゃないの。王族というのは外にせよ中にせよ、強力なラインを つなぐ重要な要素だわ。もちろん王族本人が強く望むならその例外はあるでしょうけれど、 こんなどこの馬の骨とも知れない女と、第一王位継承者を結び付けようとする国なんてあるわけないもの。」
 妙に口数が多くなったのは、やはり少し混乱したからだろう。
「けどさー、私の情報によると、三回は選考会議が行われてて、その三回とも候補として残ったらしいしね。 考えてみれば、結構唐突な配置変更だし、今してる仕事も従来ならありえないことよ。 だからもしかして二人は恋人なのかもって思ったんだけど、どう?」
「……残念ながら、致命的に好みのタイプではないわ。」
 探るように言ってきたジーンに、エリンはため息と共に言葉を吐く。
「そういやエリンの好みのタイプってどうなの?」
「そうね、頼りがいのある年上がいいわね。実年齢より、精神の年齢がね。」
 王子はエリンの一つ上だったので、エリンはそう付け足した。
「へぇ、意外。どっちかって言うと、エリンは自分が仕切って引っ張っていきたいタイプだと思ってたわ。貞淑に 着いていくって言うの、イメージじゃないし。私もだけどね。」
「そうかしら。でもまぁ、そういう大人に憧れるというだけで具体的なイメージがあるわけではないのよ。」
 そう言って話を切った。確かに、自分は付き従うタイプではないとエリンは考える。それに似合うのは、別の女性だ。
「ふぅん。まぁ、あの王子は確かにそんなタイプではないわね。意外と合うと思うんだけど。」
「……何を言ってるのよ。」
「だって、結構前から評判よ。エリンが王妃になったら素敵って、特に下の人間にはね。」
「……どうして。」
「まぁ、エリンは人気が高いってことよ。でもまぁ、嫌な相手と結婚するのは反対ね、友人としては。」
 くすりと笑うジーンに、エリンも小さく笑みを浮かべた。
「まぁ、所詮噂は噂よ。ありえない話だわ。」
 友人と恋の話をするなんて、なかなか普通で悪くない。エリンはなんとなく嬉しい気持ちで席を立った。


 その日は朝から雨だった。
 なんとなく出歩く気にもなれず、面倒なことを朝のうちに済ませ、エリンは自室にこもりきりになっていた。
 こんこん、と二回ノックの音がして、エリンは意識を書類から離した。気がつくと、もう日は傾き始めていて、 ずいぶん長い間集中していたらしい。
「どなたでしょう?」
「私だ、入るぞ。」
 そう言って入ってきたのは、この国の王子だった。ずかずかと入り込んでくる王子に、エリンは一応礼儀を持って 立つ。
「何か御用でしょうか?」
 今日は何もなかったはずだ。以前頻繁に出していた課題も、最近は出す必要もない。それくらい王子は 成長していた。ただ、えらそうなところは変わらないが。
「用がなければ来るなというのか。ここは私の国で私の城だ。私が拒否されて良い場所などないはずだ。」
「……。」
 その言葉に、エリンは眉間にしわを寄せる。
 じゃあ、牢屋や下働きの居住区にも入り込むつもりなのかとか、そもそも何も用がないのに部屋をたずねに 来るほど、仲良しな関係ではないとか、こちらにも仕事があるのとか、そもそも王子の仕事はどうなっているのかとか。
 なんだかもう、どこからつっこめばいいのか分からない。
 しばらく考えたが、頭が痛くなりそうだったので、エリンは茶を沸かすことにした。
「……お茶、飲まれますか?王子に出されているお茶やお菓子よりは上等じゃありませんけれど。」
「ああ、飲んでやろう。」
 王子は客が来たとき用の、簡易応接間の椅子にどっかりと座る。明らかに王子の部屋より居心地は 悪いと思うのだが。
「なんだ、固い椅子だな。」
「……私の部屋にある椅子が王子の椅子より上等なら問題でしょう。」
 そもそも自分の身分で、この部屋すら上等すぎる。そう思いながらテーブルにクッキーを置き、カップを置いてお茶を注いだ。
「うん。エリン、お前も座れ。」
「……はぁ……。」
 エリンは反対側に座り、カップを手に取った。王子はお茶を飲み、クッキーにけちをつけながらも食べている。
 やがて、クッキーはどこから来たのかという話になり、それが自作だと伝えると、作ることができるのかと 感心していた。クレアほどはとてもじゃないが届かないが、エリンも料理は嫌いではないのだ。
 いくつかそんなたわいない話をしてから、エリンは王子に言う。
「けれど、王子、いくらお暇だからと言って、このような場所に来ることは感心しません。」
「なぜだ。」
「なぜって、噂になったら困るのは王子ですから。ただでさえ今は大変な時期なんですし、こんな身分の低い 女の部屋に入っていったなんて、変な事実を想像されるかもしれません。結婚話にも 差し支えます。」
 そういうと、王子はうつむく。何かまずいことを言っただろうか。いつもは見ない王子の 姿に、エリンは戸惑う。
「あの…、」
「エリン、お前は存外、鈍いのか?」
「は?」
 意味が分からない。今の会話から、どうしてそうなるのか。だが、王子は何か納得したようだった。
「まぁいい、一度の機会だ。」
 そう言って王子が立ち上がる。
「この私が、ただ一度だけひざまずいてやろう。エリン、この私と、結婚しろ。」
 そういいながら、王子は形だけはエリンの足元にひざまずき、そのスカートに口付けをした。


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