「やはり、ここの空気は良いですね。」
「おかえりなさい、オーリン。」
 横でにこにこ笑いながら、ミネアが笑顔で言った。

 キングレオで重症を受けたオーリンは、先の勇者と魔王の戦いが終っても、 しばらくフレノールの町で療養していた。
 そして、このたびようやく動く事が許され、コーミズに帰ることになったのだ。
 いまだ引きつる体。そして、二度と元通りにはならないことは判っていた。 …それでもオーリンはそれを後悔してはいなかった。ただ、最後まで守りきれない事だけが辛かった。
「しかしよろしいのでしょうか?私がまたエドガン様の研究室を…」
「かまいませんわ。洞窟の研究室は…まだオーリンの体が本調子でありませんから今は行かないで欲しいんですけれど。 研究室も腐らせておくのはもったいないですもの。父だってきっとそう言うと思います。」
「ご迷惑ばかりかけてもうしわけありません…」
「そんな迷惑だなんて。家も住まなければ痛んでしまいますもの。私も姉さんも感謝しているんですよ。 それにペスももう年ですし、オーリンが側にいてくだされば安心ですわ。こちらこそご迷惑なんじゃ ないかって心配しているんですのよ。…本当に良かったんですの?」
 ミネアが心配しているのは、他でもないフレノールに残してきた、女性の事だ。献身にオーリンの 傷の手当てをし、身の周りの世話をしていた女性は明らかにオーリンに対して好意を持っていた。
「ええ、帰ってきてわかります。私の居場所はここです。けれど…こうしてみると、エドガン様が 出迎えてくださるような気がいたしますね。」
「そう…ですね…」
 しんみりとした空気。ミネアは黙って家の扉を開けた。一応片付けておいたのだが、それでもしばらく 使われていなかったため、埃の匂いがした。
「好きに使ってくださいね。姉さんも私もモンバーバラに行っていて、ほとんど使っておりませんから。」
「はい、お言葉に甘えさせていただきます。」
 てきぱきと窓を開け放ち、荷物を置いていくミネア。
「これからご飯を作りますわ。少し待っていてくださいね。」
「ミネア様は、今日はお仕事は…?」
「今日はお休みしますわ。明日からはしばらくは夕食を作りに来ますわ。」
「そんな、ミネア様。申し訳ないですよ。」
「いいんです。私がやりたいのですから、やらせてください。オーリンはまだ体が本調子ではないのでしょう? それに、お父さんが残した器具の調整をしたいのではありません?」
「はい、それはもう…ですが…」
「いいんです。私が好きでやるのですから。姉さんは最近差し入ればかりで私の料理、食べてくれないんですのよ。」
 ミネアは力を込めていった。正直な所、この役目を誰にも譲る気はなかった。フレノールで献身的に他の 女性に看病してもらっているのを思い出すだけで、ミネアの心に熱い火がともるのだ。
 もう、誰にも譲りたくない。そう思っているのに、そして旅が終ったら、ちゃんと自分の気持ちを伝えようと 思っていたのに、その言葉をどうしても告げることができない自分を情けなく思いながら、ミネアは笑った。

 そしてその気持ちはオーリンも一緒だった。全てが片付いたらちゃんと、思いを伝えようと思っていた。初めて 作った夕昏色の指輪を渡そうと、ちゃんと用意してあるのに、どうしてもその勇気がもてなかった。


 朝は随分と爽やかだった。結局長い間置いておかれて、埃がかぶっていた器具を丁寧に掃除して、調整するため、 真夜中まで起きていたオーリンは、眼をこすりながらベットから立ち上がる。
 台所へ行くと、準備され湯気がたったスープが、かまどでほこほことできあがっている。
「ミネア様…?」
(もうモンバーバラのほうへ戻られたのだろうか…?だが、まだあの町に戻られるには少々早いような…)
   かちゃりと扉を開け、横を見るとそこには天使が日に浴びていた。オーリンは硬直する。
 鳥達が十重二十重に天使をとりまいている。その天使はパン屑を鳥達に分け与えながら、ペスを撫でていた。 鳥は犬を恐れずに、頭に載ったり背に止まったりしている。天使の方や膝に止まっている 鳥達も、仲良く餌を食べていた。犬もそれを優しく見守っていた。
 天上の風景のようだった。もしくは聖域というべきか。あまりにも幻想的で美しい。
 そっと、オーリンはミネアへ足を踏み出した。するといっせいに鳥達は空へ羽ばたいた。
「あ…」
「あら、オーリン。起きてらしたんですのね。ごめんなさい、気が付かなくて。すぐ支度しますわ。」
「いえ…邪魔してすみませんでした。…逃げてしまいましたね。」
 オーリンが頭を下げる。ミネアは微笑んだ。
「少し驚いてしまったのかもしれませんわね。また一緒にパンをやってみますか?」
「いえ、私がパンをあげても、きっとすぐ逃げられてしまいますよ」
 その言葉に、くすくすと笑うミネア。
「おかしなオーリン。さあ、朝食にしましょう。」
 あの飛んでいった鳥達は、ミネアに近づく自分を拒否したような、 自分には近づく資格がないのだと言われたような、そんな気がしていた。


 オーリンがコーミズに帰り、ミネアが通ってきてくれるようになってから、5日が過ぎ、10日が過ぎていた。時折 マーニャが来て、食事を食べ泊まって帰ってきたり、村の皆で宴会をしたり、そんな平和な生活が続いていた。
 そんな中、渡せずにポケットに入れてある指輪が、オーリンには重かった。
 ぼんやりと、以前ミネアがいた場所で鳥達にパン屑を蒔きながらオーリンは思案していた。
 今のミネアは毎朝こちらに朝食を作りにモンバーバラから来てくれ、色々と世話をしてくれたあと、早めの 夕食を共にしてくれたあと、モンバーバラへ帰っていく。仕事と睡眠以外、全てこちらにいるようなものだ。 それほど近くにいるのに、どうしても心が近づいたように思えない。

 鳥は遠巻きにオーリンを囲み、放り投げられた餌に突進する。餌をあげおわり、オーリンが立ち上がると鳥は いっせいに飛び立つ。それは、とても当たり前の光景なのだが、オーリンには悲しかった。
(ミネア様と世界を共有する事は、私にはできないのだろうか…?)
 指輪を渡す事。思いを伝える事。その資格が自分にあるかどうか、オーリンはどうしても自信がなかった。
 ミネアはモンバーバラの姉妹と呼ばれる、名物となるような美人の一人。その美貌は ますます磨きがかかり、夜に輝く百合のようだった。そして、世界を救いし導かれし者の一人。 とても、自分がつりあうような人間だとは思えなかった。
 だからこそ、ミネアがみる世界が少しでも見てみたかった。
「オーリン、こんな所にいたんですのね。」
「あ、ミネア様…」
「餌をやっていて下さったのですか?」
「はい、でも鳥達は私に脅えているようで。逆にかわいそうになってきました。」
 そう言うと、ミネアは笑った。鈴を転がしたような笑い声だった。
「そんなことはありませんわ、オーリン。…よく見ればきっと判ります。」
 その言葉の意味は、オーリンには判らなかった。ミネアも言わなかった。ただ、嬉しそうに笑うだけだった。


 一方ミネアにもあせりはあった。ずっと側にいればいるほど、自分の思いを打ち明けるタイミングがつかめないのだ。
(こんなに側にいるのに…)
 言わなければいけないのは判っている。『あるはず』と信じている明日など、ありえないのだ。明日には、何かがあるかもしれない。 言わなくて後悔するのは、もう嫌だ。何故だかわからないが、ミネアにはそれが痛いほど判っていた。
(ミネア…今よ…!)
 息を吸って言おうとする。
「オーリン…あのっ」
「なんでしょう?ミネア様?」
 そう声を聞くだけで、もう駄目になってしまう。ごまかしてしまう。
 …判っているのにそれでもオーリンの笑顔を見ると、ミネアの口は貝のように閉ざされてしまう。その笑顔を いつまでも見続けたいと願ってしまう。
 言ってしまえばすべてが砕けてしまうようで。…口にすれば何もかもなくなってしまうようで。

「あの…今は、その以前の研究を、そのまま続けられているのですか?」
 今がチャンスだ、そうオーリンは思った。指輪を私、今こそ自分の思いを告げるときだと。
「その、私は…以前の研究もなのですが…」
 そういいかけ、ミネアの顔を見て、心が閉ざされた。余りにも神聖すぎて、おこがましすぎて。
「それだけではなく、色々始めようと思います。亡きエドガン様の為にも…」
 そう言って笑ってごまかしてしまった。


 すっかり毎朝の恒例になってしまったパンまき。夜更かしをしたため、眠くて仕方がない。眼をこすりながらも パンを蒔いていたが、陽の暖かさに負けて、いつしか眠ってしまった。

「オーリン…?」
 いつまでも帰ってこないオーリンを心配して、ミネアが家の扉を開ける。そして破顔した。起こさないように、そっと 横に座る。
 とても気持ちがいい日だった。そっと、オーリンの肩にもたれかかり鳥達を目を細めて見つめた。そして、太陽の暖かさに 少しずつ負け…ミネアも睡眠に引き込まれた。

 目が覚めて、オーリンは驚いた。自分の体にもたれかかってミネアが寝ていたのだから。
 オーリンは笑った。昔はよく、こんなことがあった気がする。その頃は、まだ今胸にある感情はなく、 ただ、とても綺麗な女の子だと思っていた。
 今は、綺麗だと思うが、それ以上に愛しい。ずっと側に居て欲しい、そう願ってしまう。
 少し卑怯だと思うが、寝ている今がチャンスだった。そっとポケットから指輪を取り出し、ミネアの指にはめた。

 羽ずれの音で目が覚めた。
「オーリン…」
 気が付くと、すでに昼も近づこうとしている時刻だった。オーリンは自分をできるだけ起こさないように、そっと鳥に 餌をやっていた。
「いやだ、ごめんなさい、オーリン。つい…」
「いいえ、いい天気でしたし、私も同じですから。あの、ミネア様。その、ご迷惑かもしれませんが、受け取っていただきたい ものがあるのです。」
「なんですか?」
 その笑顔に、気がくじけそうになる。だが、すでに後戻りができないとなると、意外なほど言葉が出てきた。
「いえ、その前に、伝えなければならないことがありますね。…私は、ミネア様を愛しております。」
 驚きで、声が出なかった。口に手をあてる。そして…指につけられた指輪を見た。…初めて見る指輪。 それでも、それがとても大切なものであることは、何故かわかった。
「その指輪は…フレノールで続けていた私の最初の研究です。…ミネア様に、どうしても受け取っていただきたかったのです。 ご迷惑かもしれませんけれど…」
 ミネアはプルプルと首を振った。オーリンは笑う。少しだけ、自嘲的な笑みだった。
「そうですか…ありがとうございます。…受け取っていただけただけで…」
「いえ、あの、その…」
 言葉が出てこない。もどかしい自分を慰めるように、そっと指輪を握り締める。…なにか不思議な力が、 自分の中にみなぎった。
「…オーリン。先ほど寝てらした時…オーリンの頭に鳥が止まっていましたわ。」
 朗らかにミネアがいきなり話を変えたことに戸惑いながら、オーリンは答えた。
「ははは、止まり木になっていましたか。」
「ええ。とても楽しそうに。オーリンはこの間、鳥がオーリンのことを怖がっていると言っていましたけれど、 あれは違いますわ。オーリンが鳥と近づきたかったように、鳥も、オーリンに近づきたかったんですよ。 ただ少しだけ、勇気が足りなかったのですが。鳥にも、オーリンにも。」
 そっと、ミネアはオーリンの手を取った。
「私も、そうです。オーリン。ずっと、ずっと貴方の側にいたかったんです。…貴方が、好きです。」
「…ミネアと同じ世界が、私にも見られるでしょうか?」
 口が、そう滑っていた。
「…同じ、世界?」
「ええ。ミネアの見る世界はどれだけ美しいのでしょうか…私もそれが見てみたいのです。」
 その言葉に、ミネアが微笑む。
「空が…青いですわ。どこまでも透き通っていますわ。…白い鳥が、たくさんいて、とても可愛らしいですわね。 ペスが横で寝ていますわ。安心しているみたい、とってもいい夢を見ているみたいですわね。 緑が綺麗ですわ。葉っぱが日に照らされてきらきらと輝いていますわ。あっちには牛がいて、みんなが一生懸命 畑を耕していますわ。」
 一つ一つ、見えるものをあげていくミネア。それを見て、オーリンはひとつずつ頷きます。
「ですけど…オーリンにはきっと私と同じ世界は見えませんわ。隣にオーリンがいてくださるだけで… 好きだと言ってくださっただけで。これほど世界が綺麗に見えるんですもの。本当にきらきら輝いて 見えるんですもの。」
 そう言われて、オーリンはミネアを見た。そして、もう一度世界を見回してみた。
「そうですね…私もミネアと一緒にいると、一層に世界が綺麗に見えます。本当に…とても 綺麗です。たとえこの世界がミネアが見る世界と違っていても…ずっと見ていたいです。 …ミネアと、一緒に。」
「ええ。」

 強い風が吹いた。鳥がいっせいに飛び立つ。
 そして、それが合図のように、二人は誓いの口付けをしていた。


      あとがき


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