気がつくと、そこは暖かな木の家だった。
 漂う木の匂いが、ここはとても懐かしい場所だと、ラグに教えてくれた。
 上等ではないが心地よいベッドから身を起こす。
 周りを見渡すと、こじんまりとした家具たちがある。豪華では決してない。一つ一つ、村のみんなが 手で作り上げたもの。貧しいと言う人たちもいるだろうが、とても幸福な暮らし。
 外はまだ暗く、部屋の中も見渡せないほど真っ暗だった。まだ真夜中のようだ。
(どうして、こんな時間に目が覚めたんだろう…)
 まだぼんやりとした頭のまま、ラグは家の扉を開けて、外に出る。

 ふわりと、暖かな風がラグをつつんだ。外には見慣れた風景。…ずっとずっと17年間 暮らしてきた、村がそこにあって。見慣れた空があって。それがあまりにも幸福で。
 …わかってしまったのだ。これが、幸福な夢だと言うことに。
 ラグの村は…この名もない村は、現実ではどこにもないはずなのだから。あの日、 自分を守るために…焼け落ちて、消えてしまったのだから。
 ラグはほとんど泣きそうになりながら、それでも足を踏み出した。

 月は冴え冴えと光り、花がその光を受けて淡く光っている。ふわふわとした夢の中をラグは、歩いていた。
 新しい木の匂い、記憶にあるままの花畑の色合い。そんなものをぼんやりとぼんやりと感じていると、 耳に澄んだ音色が聞こえた。
 高く空気を響かせるもの。それはまるで月の光のような…透明な音色。ラグはそれに惹かれ、音が聞こえるほうへ、 ゆっくりと足を進める。
 風に揺れる、木々のざわめきを聞きながら、ゆっくりと村の奥の方へと向かう。そこには、 かつて池があり、そして…あの倉庫があった場所だった。
 ラグの口が少しゆがんだ。だが、すぐにほどかれる。
 ラグの目の前に見えたのは巨大な白い十字架。それが、かつて池があった場所、今は…毒の沼になっているはずの場所に 堂々と建っていたからだ。
 大理石で出来ているらしいその十字架は、まるで天まで届きそうなほど、大きなものだった。今は、ただ 静かに、月に照らされて、淡く白い光を放っている。
 そして、その台座のふもとで…まるで泣きそうな顔で、月を見ながら笛を吹いているシンシアを見た瞬間  ラグは走った。シンシアの元へと。
 月の光が生み出す幻影なのか、それとも都合のいい夢なのか。そんなことは考えられなかった。 ただ、シンシアの元へ。頭の中はそれだけだった。

 足音が聞こえたのか、シンシアは笛から口を離した。
「ラグ…起こしちゃった…?」
 その響きは確かに現実のもので。ようやくラグは目を覚ました。…いいや、最初からさめていたのだ。 これは、最初から夢なんかじゃなかった。世界は平和を取り戻し、世界中をめぐる旅から帰ってきたラグと シンシアは、ホフマンの助けを得て、ここにもう一度村を再建したのだから。
「ううん。…平気だよ、シンシア。」
 はかなく笑いながら、ラグはシンシアの隣に腰を下ろす。
「少し驚いただけだから。それより、シンシアは…こんな夜中に、何をしているの?」
「…月を見ていたの。」
 シンシアはやわらかく笑って、月を見た。月は満月。白い光を世界に投げかけていた。
「今の生活が、あんまりに夢みたいでしょう?…ラグと旅をしたときには、私、浮かれちゃって…でも こうやって落ち着いて。…なんだかゆっくり考えたくなったの。今までのこと。」
「うん…いろいろあったね、シンシア。」
 村のみんなが、死んでしまったこと。導かれし者として世界を救ったこと。いつだって落ち込んで、苦しくて。… そんな自分にいつも一緒にいてくれたシンシア。
 そのシンシアが、いま隣で笑っていることは、とても不思議なことだと感じた。
「いろいろあって、何もかも変わって…」
 そう言って、シンシアは十字架を見上げた。
「ラグ…村の人たちの魂はここにはないの。上にもないわ。…消えてしまった。私のために…」
 この十字架は、ラグの希望で建てたものだった。無駄だと分かっていても、どうしてもみんなの「証」を どこかに残したくて。
「うん、知ってるよ。」
 風が二人を包む。シンシアは手に持っていた笛を横に置いて立ち上がった。
「私、長生きしているじゃない?ラグが想像もつかないくらい、長生きしているのよ。どんな深い 森にいても、山にいてもね、みんなみんな、私をおいていなくなってしまうの。…ねえ、エルフのみんなが 人間を認めないのは、そんな理由かもしれないわね。…だって、愛してしまったら 失わなければならないんだもの。それは、とても辛いことだわ。私たちは、自然のままを愛さなければ ならないから…誰かの死を悲しむことも、出来ないのですもの。」


 それは、昔なら決して言わなかったこと。決して聞かなかったこと。
「ロザリーさんが魔族を愛したのも…それが理由なのかな?」
 あえて固有名詞は出さないで、ラグは言った。それが分かったのか、シンシアは笑う。
「きっと違うわ。ロザリーさんは幸せね。好きになった人に置いていかれることがなくって。」
「シンシアは…不幸なの…?」
 シンシアは直接それに答えなかった。ただ、月を眺める。
「月は、私が生まれたときから、変わらずにそこにあるわ。じっと私を見ていてくれているの…。 だからね、私、月が大好きだったの。いつも月を眺めていたわ。」
 月光に手をかざす。手の中の光が、ゆらゆらと揺れる。
「…けど、月は…ただ、そこにあるだけ。何も語ってくれないから…寂しく感じるわ…」
 そういって、ラグと隣に座りなおす。昔はなんとも思わなかったその距離が、 今のラグには恥ずかしかった。
「ラグも、村のみんなも、あったかいから…失ったら悲しいんだって気がついたの。 当たり前の、ことなのにね。」
「うん…」
 頷いて、ラグは思いついたように、十字架に触れる。
「でも、そう考えたらこの大理石の十字架もどこか暖かい気がするね。ここに、みんなの魂はないけれど… 僕たちが、みんなの心を知っているから。この十字架を見るたびに、みんなの心を思い出したら…、 きっとこの大理石は何かを僕たちに語ってくれるんじゃないかな、きっと…。僕は、そう信じたいよ。」
 シンシアは目を丸くした。
「…月も、暖かいかしら?」
「シンシアは、どう思う?」
 ラグがにっこりと笑う。シンシアは自分の両手を見た。
 …自分のてのひらで、月光が踊っていた。

「そうね…」
「僕は、暖かいと思うよ。ずっと、シンシアは月と友達だったんでしょう?だから、暖かいよ。」
「そんなことないわ。」
 シンシアの言葉に、ラグはシンシアを見返す。シンシアは驚くほど、朗らかに笑った。
「…今は暖かいように思うわ。…側に、ラグがいるもの。そしてこの先、ラグがいなくなっても、 月を見るたびに今日のことを…ラグのことを思い出すわね、きっと。そしたら… きっと暖かい気分になるわ。たとえ…肉体と魂がすでにこの天地になくっても…月は、 いつもそこにいるから。いつだって暖かい気持ちになれるわ。」
 ラグは、そっとシンシアを抱きしめた。
「…僕は、ずっとシンシアの側にいるよ。もう、二度といなくなったりしないよ。」
「ラグは、きっと私より先に死ぬわ。」
「…僕だって、天空人の血が流れてるから、きっと人より長生きできるんじゃないかな 。…それに、もし先に死んでもシンシアの側にいるから。シンシアが、あの時僕にしてくれたように。 …僕は、シンシアが、好きだから。」
 肩にまわされた手に、シンシアは手を添える。
 エルフは自然のままに生き、天と地に溶け合うことを望む者。…魂が天に昇るのを拒否し、 地上にとどまることは、恥ともいえ、罪とも言えた。
 だが、あの時…シンシアは戸惑いなどなかった。いや、最初にそのことを思いついたのがいつかも 思い出せない。いつか、別れる日が来ることがわかっていた。…そして、気がついたら、その日が 来たらそうしようと、決めていた。
 それを罪と責める者もいるだろう。恥だと罵る者もいるだろう。
 だが、今でも後悔していない。心からそう思える。だが、あえてラグに聞いた。
「…勇者、ラグリュートとしては、それはいいのかしら?」
「大丈夫だよ、僕、勇者休業中だから。きっと、また勇者することはないと思うけどね。 平和だから。僕は僕、ラグだよ。…シンシアは、それじゃ嫌?」
 少し不安そうに、ラグが言う。そんなことを言う目は、昔とちっとも変わっていない。
「勇者ラグリュートも、もちろん好きよ。けど…私が好きになったのは、ただのラグ。 お使いに寄り道して、一緒に木の実をとって、師匠や先生に怒られて…それでも一生懸命 頑張ってたラグが、ずっとずっと好きだったわ…」

 そうして、シンシアはラグの腕の中で、幸福に浸りながら目を閉じる。
 目の奥に焼きついた月の光を、決して忘れることはないだろう、そんなことを考えながら。


     あとがき


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